ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

たまたま辿り着いてくださった方に感謝を込めて…

 

このブログは実はどこからもリンクしていないんです。
私個人が本当にメモ的に書きたいと思ったことを書いて、書くだけで気が
済んでいるのですが、いつのまにか読みに来てくださる方が徐々に増えている?
…ということになってきました。みなさま、いつもどうもありがとうございます。

 

たまーに忘れたようにしか更新しないと思いますが、
気が向いたときに覗きにいらしてくださったら嬉しいです(^_^;)

 

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幸せに死ねるコツがわかった気がする

 

母が亡くなりました。

メインブログの方に書いているので、そちらをお読みいただけると

ありがたいですが…。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

 

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いまたぶん、おそらくオキシトシン多量に出てると思うけど、

しばらく反動の事は考えないことにしました。

おそらく両親は心の中でこれから最高の薬になってくれると思うので、

これから先はきっと幸せなことばかりと信じています (^_^)

 

この感じから行くと、人生をきちんと自分で選択して、

日々悔いのないように生きれば、臨終の時に脳が最期の贈り物として、

このオキシトシンの多幸感をプレゼントしてくれるんじゃないかと思う。

悔いのない達成感のある人生、ですね〜 (^_^;) 

 

 

 

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不思議は次元のレイヤーを越えて存在する

 

不思議を愛する家でした

 

うちの家族は昔からわりと「見えない世界」に関心がある家族でした。

 

かのオウムの地下鉄サリン事件を初めとする一連の事件が起きるまでは、テレビでも結構そういう話題を取り上げていたんですね。当時よくお見かけしたのは宜保愛子さんでした。

 

宜保さんの霊視&除霊番組とか、あの方はごく普通の主婦って感じの方でしたけど…。

 

宜保愛子 - Wikipedia

 


父は丹波哲郎さんの「大霊界」とかよく読んでいました。のちに江原啓之さんの本も二人で読んでましたけど… (^_^;)

 

90年代になって「ワンダーゾーン」というテレビ番組があって、関口宏さんの司会でしたが、内容がわりとスピリテュアル寄りで個人的には面白かったですね (^_^;)

 

ワンダーゾーン - Wikipedia

 

そういう番組や雑誌「ムー」などをもっぱら見ていたのは母と私でした。
マクモニーグルさんの透視とかもありましたっけ。

 

でも私は昔からUFOとか宇宙人とかいう話題には関心がなく、女性向けの占いや心理分析などを記事にした「エルフィン」という雑誌を愛読していました。執筆陣も早々たるメンバーでした。

 

エルフィン - Wikipedia

 

楽しんでいたわりと、どこか冷静で並行して「Newton」あたりの科学雑誌も読んでいたので、どこかに「検証する」頭があったのかなあ?と思います。個人的な視覚や聴覚のみに感じ取れるだけでなくて、物理的に働きかけるもの、という要素があると、現実味を帯びてきます。

 

 


亡き父の話


父亡きあと、母も私もなんらかの原因でひどく落ち込んでいた時に「もう駄目だわ、死にたいわ」と言った途端に、それまで静かに燃えていた仏壇のロウソクが一気に十数センチの高さに燃え上がり(もちろん風はありません)「これ、パパかな?」「パパやな。心配したはるわ」「パパ、ごめん!私ら頑張る!!」と叫んだ途端に炎が小さくなった、とかね。これは物理的に作用しているな、と思ったので、間違いないな、と確信した次第です。

 

それから、このエピソードも。

 

 

 

忘れもしません。父が亡くなった翌月、2009年の11月ですね。

 

主治医の先生の指導で、アルコールを抜くために、アルコールのかわりになるセルシンという薬を使って、徐々に減らすことをしている最中でした。小雨が降っているのに、弟がいなくなりまして。待っても帰ってきません。ちょうど伯父が自転車で行きそうなところ(ホームセンターとか)を捜してくれたんですが、手がかりなし。

 

悩んで警察に電話したら、「そういうケースでしたら早めに捜索願いを出した方がいいかもしれませんね。全国対象ですしね」と言われました。私思わず、仏壇に向かって「パパ!お願い!捜して!」と叫んでしまいました。

 

そのままタクシーに飛び乗って、私は警察署に行ったことがないので、運転手さん任せでしたが、その道の途中、これは自分でも驚いたんですが、なんでこんなところに?という道を弟が歩いているのを後ろ姿で見つけました。

 

「止めてください!」「危ない危ない!道の真ん中(汗)」運転手さん焦る。…捉まえました。濡れてるし、靴は片方ないし(裸足)ぼーっとしてるし。

 

「すみません。Uターンして自宅までお願いします」「見つかったんですか?よかったですね」運転手さんびっくり顔でした。で、家まで連れて帰ってもらって、すぐにまた仏壇に向かって「パパ!ありがとう!!」と叫んで大泣きしました。

 

父もまだ肉体を離れてあんまり経ってなかったから、なんとかしようと手伝ってくれたんだと思います。

 

 

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

 

 


ご先祖様


昔の話ですが、私と同じ年の従姉が大学生だったころ、扁桃腺炎で高熱をだして一人で寝ていたとき、そばに着物姿の女性が座って「Aちゃん、可哀想に。楽にしてあげような」とおでこに手をあててくれて、「あなたは誰ですか?」と尋ねると「私はさよ、と言いますね」という返事。そのままうとうとしたらその人はいなくて、熱が下がっていた。

 

不思議に親しみを感じた従姉は過去帳を調べてみたんですね。母の実家はお寺から調べると平安時代くらいまで遡れるらしいです。

 

で、調べるとちょうど明治の初めごろにその「さよ」さんという名前があったんだそうで、写真があるわけじゃないけど、従姉は「この人や」と確信したそうです。昔の過去帳は初めて見たけど、本当にその人の名前があった、というのは、もしかしたら守護されてたのかもなあ、と私は思っています。

 

 


震災絡みでたくさんの物語がありました

 


金菱先生のゼミの学生さんたちが震災後の話を聞き書きされているシリーズ。

 

呼び覚まされる 霊性の震災学

呼び覚まされる 霊性の震災学

 

 

 

ここに出てくるタクシードライバーの話で、これもひときわ心に残るものがあります。

 

恋人の家に向かうように頼んだ冬服の青年。(もう夏なのに)「これを渡さないと…」と指輪を大事そうに持っています。「お客さん、あのあたりは流されてなにもありませんよ」というと「それじゃあ、僕はやっぱり死んだのか…」とつぶやいて姿を消した青年。

 

ドライバーが後ろを見ると指輪のケースが置かれていた。ドライバーはそれを大切に預かっている。もういちどあの青年が乗ってきてくれたら、返したいと願っている…。


これも「指輪」という「モノ」がはっきり残っているわけですね。思わず次元のレイヤーを越えちゃった、という感じで…。こういうのが私にとっての「ほんもの」なんです。

 

そういうものを捜して、脳の本やら量子論にまで手を伸ばしてしまう私でした (^_^;)

 

 

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調舒星は私らしさの半分を作る星

 

この話題、こちらにも書いておきますね(^_^;)

 


人は運命のギャップに戸惑うんだと思う

 

いきなり穴に落ちるような感じ…?


先週、マッサージの先生といろいろ話していたんですが、なにしろ10年以上の長いおつきあいのうえ、寝たきりで動けない患者さんのところなどにも出入りされているので、いろんなケースをご存知なんでしょうけど…。

 

「もともとは健康で、途中から病気や障害になった人の方がそのギャップを大きく感じますよね」
「そういう感じに思えますね」
「私みたいにもともと丈夫ではない方だと、無理が利かないのが当たり前で、だからこんなもんか、と諦めていることが多いし、『元気だった頃に戻りたい』と言っても、その『元気だったころ』が存在しないので、それもあんまり思いませんし…」
「なんというか、それなりに諦めの境地におられる方も少なくないですね…」

 

「…だよねー」と思いましたさ(^_^;)

 

Twitterなどで見ていてもそれは私も感じます。「もともとは元気でした」という人の方がギャップが堪えてがっくりされている感じが大きいのです。わからなくもありませんけどね。

 

 

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もともとあまり丈夫じゃなく生まれてきていると、どうしてそのくらいで落ち込み過ぎるのかな?と思うんだけど、その人にとっては深刻なんだろうな。私自身はもともと「人並み」とか思ったことないからわからないです。

 

そのかわりに「これだけは譲れない」というオタク気質があるので、一点集中で幸せを求めていけるのはありがたいかもしれません(^_^;)

 

 

病気で進学も就職も無理→でも絵が描ければ幸せ

調子が悪くて仕事も休みがち→でも絵は描けるから…同人誌も作れるし

自分がうつから双極性障害&親の介護→でも描くのはやめないから幸せ

 


人生の転機をすべてその基準で選んできたのは間違っていませんでした。自分の目指すところが最後までちゃんと見えているし。最後まで貫いて本物にする覚悟も出来てるし。これはやっぱり北極星だなあ、と思います。いかにも斗宿の人間っぽい(^_^;)

 

 


算命学で自己分析してみた


占いとかに興味のない方もいらっしゃると思うんですが、少しだけ占いっぽい話題です。

 

歴史が古いから、統計学に近いらいいんですけどね。私も20代の頃に何冊か本を読んで手計算で命式表を作りました。でもその当時はあまり内容がぴんとこなくて忘れてたんです。

 

それが30〜40年くらい経ってから見てみると、なんだか現状をそのまま表しているようで、驚きます。えーと、算命学の話(^_^;) 

 

正式に学んだわけじゃないですし、自己流の解釈もあるだろうし…。そもそも他人のことを見るにはそれなりの覚悟が必要だとか言われてるのも知っているので、あくまでも私個人のサンプルでいきますが…。

 

これが私の陽占の命式です。もうひとつ陰占というのもあります。

 

 

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本命は胸で見るらしいので、私の場合は「司禄星」になります。左手の星も司禄星です。この星は良妻賢母の星とか言うらしいです。ものごとをコツコツと成し遂げる能力があるんだとか。お金に関すると貯金などで、投機には向かないらしいです。…貯金…ないけどね…( ; ; )

 

コツコツ続くのはブログとかサイトとかそういうことかなあ、と思います。地味な努力が苦手じゃないという感じで。

 

…まあ、司禄星はいいや。

 

 

 

調舒星は曲者だけど、私は好きだなあ

 


曲者は頭と腹にある「調舒星」ですね。

 

これがあると、この星をもたない人には理解ができない人物だそうです(^_^;) 

感性と直感力、孤独と反骨精神、美と鋭さ、それでいて気まぐれ。

 

これが悩みを持ちやすいので、そこから発して哲学とか文学とか芸術とかに行っちゃうんですね。この星がひとつもないアーティストは偽物だ、とかいう人もいるくらい。葛藤が大きくて激しいからこそ生まれるものがあるということでしょうか。

 

私もこれは二つありますね。この星、私は嫌いじゃないんですよ。むしろ好き(^^) 私を私たらしめているような気がするから…。ただ、司禄星とは反対に近い感じがするので、そのへんのバランスがまた課題になりそうに思います。

 

もしも結婚していたらその家族のことにかまけるのでしょうが、あいにく(?)独身でいるために実家の親兄弟に関して動き回らないといけない運命にあるのかもしれません(ーー;) 

 


そして、そもそも占いとか分析とか、そういうことが好きなのもどうやら調舒星の影響らしいのですね。根源的な迷いや悩みがいつもあるから、心理学とか哲学だけでは物足りなく感じるのです。総合的に判断するから、なに特定のものだけに深入りしたり入れ込んだりすることはありませんが…。

 

落差も激しくなるけど、あんまり他人のことは気にしなくて自分の価値観でマイペースが好きで孤独にも強いから、私はいい味方だと思っております(^_^;)

 

 

ここに出てくる調舒星持ちの人たちのつぶやきがあまりにもわかりすぎる。

そういう星なんですよね〜(^_^;)

厄介だけど、この星が好きな人が多いのです。

 

 

lady-joker.com

 

 

あと、生年月日をもとにした命式が作れるサイトはこちらにあります。

 

無料占い 算命学 無料鑑定

 

大まかな占いもできます(^_^;)

 

 

 

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魂の既視感、とでもいうのだろうか?

 

論理的な私

 

私は他の人も認める、きわめて論理的な人間です。

絵を描く時はともかくとしても、文章を書いている時は左脳がメインで働いていると思います。インプットもアウトプットも左脳人間なんですね。

 

ですから私の意識にあるスピリチュアルなものも、かなり論理的に「地に足がついたもの」です。それがないと、どうも疑ってかかることがあるようです。なので、滅多に騙されることもありません。

 

特別な能力もありませんし。

 

 

スピリチュアルなことへの関心の理由

 

それならどうして興味関心があるかというと、既視感のようなものを感じるからです。幼児期は一人遊びが好きで絵本を読むのが好きな子供でした。子供が少ない土地柄でしたので、祖母と京都御苑の中に絵本持参で遊びに行くのが常でした。

 

初めて多くの同じ年の子供たちに出会ったのが幼稚園の頃。そこでも集団での遊びに馴染めない子供でした。が、「まわりとはなんだか違う」という感覚から、他の女の子がお嫁さんの絵を描いているのをみて「私はあれはならないな」と直感で思ったのが最初かもしれません。

 

その後成長するにつれて、スピリチュアルな傾向がある物事に出会うと、非常に既視感を抱くことがありました。子供ですので、まだそんなに難しい本も読んでいない時です。でも「あ、これ知ってる」と思いました。

 

そういうことが何度もあって、その既視感の正体を探るべく、大人になってからもいろいろな勉強をしていたんですが…。「これは知ってる」と思ったことはどう見ても真実で、それではなぜ幼い子供がすでにそういうことを知っているのかと思うと、生まれる前に別の人生で経験していた、と考えるのが自然になってくるんですよね。

 

そのへんで魂と生まれ変わりはあるんだな、と確信が持てました。

 

でも、それはあえて他の人には話さずに来ました。ただ、知りたいタイミングが来た人に対しては父の場合もそうでしたが、私が話した、というよりも誰かが私の身体を借りて言葉にしてくれた感じがしています。

 

前世で意味があった経験だからこそ、この世でも意味があるんですね。天寿を全うすることの意味、辛いことが多いのはこの世が修業の場であることだから、ということなど。

 

宗教でもなんでもないので、別に誰かに話そうかと思うわけではありませんが、これを認識しているのといないのとでは、現実を生きるための力が違ってくるのは確かです。知っていれば、これほど現世を生きるのにパワーになることもないわけですね。

 

 

 

前世と今生の経験値

 

多分、私は生まれ変わる機会が多くて、多くの経験を重ねてきたんだと思います。その途上で納得したことは早く思い出すみたいです。

 

で、気がつくとあらゆる占いが示すとおりの人生を歩んでいたりする。その人生で課題になっていることに気付くのも、それを処理するのも早いのですね。

 

魂だけの経験値もこの肉体を得てからの経験値も高いのではないかと思います。

ちょうどひと区切りの人生になるのかもしれません。

だから特別な力はないんですね。ただ、地に足をつけることの重要性は身にしみています。

 

 

創作の神様???

 

私の唯一のパワー(?)みたいなものはやはり「プロになりたい」と思いつつ創作を続けておられる方が本当にプロになられるかどうか?くらいのものです。10代の時からずっと見ていて、今のところは外れたことがありませんが、でもこれも現実的な分析が大事なのかもしれません。

 

地に足をつけたスピリチュアル、は今の世の中の基本のようだと思います。

 

 

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イマジナリー・フレンドの底力を実感するとき

 

イマジナリー・フレンドとはなんぞや?

 


イマジナリー・フレンドとはなんぞや?

 

多くの子供が幼い頃に持っていた自分だけの「空想の友達」というのが基本的説明です。決して異常なことではなくて、正常な発達にかかせない要素だと言われています。
大抵は成長するにつれて消えていくものらしいです…。

 

が!多くはないけれども、大人になってもイマジナリー・フレンドを持つ人もいます。私もそのひとりです。


前の記事からなんとなく続きます (^_^;)

 

choispi.hatenablog.com

 

 

いろいろ検索してみたけど、やっぱりYukiさんのサイトが一番細やかで詳しかったです。お時間があれば是非目を通していただきたい記事の数々。

 

イマジナリーコンパニオン | いつも空が見えるから

 

私とYukiさんは共通点が多くて、持病に悩まされていたり、絵を描くのも文章を書くのも好きだったり、お互いにHSPでもあって、さらにいまだにイマジナリー・フレンドを持つ人なのですね (^_^)

 

一説には子供の頃に寂しい思いや辛い思いをしたことがイマジナリー・フレンド誕生のきっかけになったりすることもあるようですが、子供時代に寂しさやトラウマを残すような体験をしていても、必ずしもIFを持つようになるとは限りませんし、逆に私のようにわりと幸福な子供時代(病弱だった以外は)を過ごしたにも関わらず、いつのまにか気がついたら「いる」人もあります。

 

 

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いつのまにか「いた」 思春期の出会い

 

私の場合は幼い頃に出会ったわけではなくて、出会いは思春期(中学生くらい)の頃でした。もしかしたらその頃が私の人格形成に大きな意味があった時期だったのかもしれませんが、ふと気がついたら「いた」んですよね。

 

まず最初は「男の子になった自分」が。体調のこととかあって、女の子でいることが辛いと感じていたのかもしれません。

 

その私の中に現れた同年代の男の子はしごく身軽で自由でした。(現在のタケルの原型かな)男の子目線で眺める世界も新鮮でしたし。

 

それをきっかけに私の中で彼の物語が生まれ、取り巻くキャラクターたちも生まれて、独自の生い立ちや心情を語り始めて、彼ら彼女らもまたごく自然に私に融合していきました。もともと私の中にあったものが可視化(でも自分だけ)されていったのかもしれませんが。

 

私の中には男の子目線もあるから、ジェンダーフリーというか、そのあたりの不自由な枠は存在しないのですね。

 

私が把握出来るキャラクターが増えていくにつれて、老若男女の幅もぐんと拡がります。彼らは勝手に行動するから意外なカップルが生まれたり、予想外な展開が始まったり。自分の頭の中の創作世界のくせに自分ではコントロールしがたいのです。で、漫画でも描いてみたら、「ええ~!そういう展開になるの??」と驚くばかりですが、きちんとラストのつじつまは合っていたりします (^_^;)

 

キャラクター(あんまり深く理解していないものをこう便宜上呼んでおきます)とイマジナリー・フレンド(こっちはもう歴史も背負ってるし)とを合わせると、相当広い目線が成立しますし、いろんな方向からものごとを眺めるのに大変役立ちます。

 

 

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結構不器用な私たち

 

ただ、困ったことにあんまりはっきりイマジナリー・フレンドの主張があると、頭で作った話に出演してくれる子がいなくなるんですよね。…というか、即席のキャラが作れないんです。

 

「…困った。誰か出てくれないかな?」「演技でいいならやらなくもないけど…(のり気じゃなさそう)」…そういう感じなので、私も漫画を仕事に選ぶのは到底無理だよね、とわりと早い段階(20代)で諦めました。あとは同人誌でほそぼそと描いていましたが。

 

さて、不器用なのは私かIFかどっちだろう??

 

基本的に私とIFの会話はあくまでも脳内会話です。独り言は言いません。

 

 

でも、一番の親友がやはり漫画を描く人で、IFを持っていたので、信じられないことにIF同士の恋愛まで始まってしまって、私も楽しかったけど、混乱もしました。時々、どちらの感情かわからなくなったし。

 

おまけに合作イラストを描くとなると、しょっちゅうイメージもシンクロしていたので、あの時はちょっとしたテレパシーみたいなものも働いていたような気がします。脳って不思議だ。(彼女の存在も特別でしたが)

 

いまでも彼らの全部が私の中に納まっているとは思えない。私の脳と部分的に重なっているけど、頭の上に彼らの世界っていくつか重なり合って存在してるよ、絶対。…そういう感覚 (^_^;) 私がチャンネルを合わせるだけでいつでもキャッチ出来るし、必要な時はさりげなくフォローしてくれますし。

 

 

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精神面の手助けは大きいと思う

 

今回、相当なダメージを受けたと思っていたうつから、ものすごい早さで浮上出来たのも彼らのおかげだと思います。私の中でバランスを取るべく、IFたちが働いてくれたんだと思います。

 

薬は使っていません。いつもとまったく同じですが、同じままで立ち直れたのは自分でもすごいと思っています。

 

ひとりでいてもまったく孤独を感じない(IFがいるから)、精神疾患視野狭窄になるのは常ですが、それを修正してくれるのがIFの広い視野だと思っています。辛い時でもなんとなく余裕とかユーモアとかが働くのもIFのおかげですね (^_^;)

 

私にとって、そういう存在がいるのは非常な僥倖だと思っています。彼らがいない世界って考えられないな。実際にいない人のお話だと、ものすごく孤独らしいので…。

 

Yukiさんとやりとりしましたら、HSPの人でもIFを持つ人は少ないようです。彼らの存在がどれだけ精神面の救いになってくれるか考えたら、非常に厳しいだろうな、とは思いますが。

 

でも、努力して獲得するものでもなくて、ふと気がついたら「いる」存在なので…。そのへんがどうなんでしょうね?空想と創作が好きな人なら大人になってからでも持てる可能性はあるかもしれません。

 

私は自分があまり自然なんで、これってわりと最近まで普通のことだと思っていました (^_^;) 

 

この先も生きている限りずっと絵を描き続けるつもりなので、彼らとも死ぬまで一緒にいれると思っています。死ぬ時は解放だから、そのままどこかの空間に残るのか霧散するのかわかりませんが、いつかどこかで波長が合う人に出会ってくれるといいなあ、とちょっと思います (^_^;)

 

 

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このイマジナリー・フレンド関連のことはもっと研究が進めばいいな、と思っています。うまくいけば自分なりにコントロールしやすい方法が見つかるかもしれませんし…。最低限の薬でバランスが取れるようになるといいなあ、と願います。

 

ホント言うと、精神疾患で悩んでいる人たちにIFがいれば、もっと楽に生きられるのに、とはよく思うんですよね…。

 

 

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現実の「共感」と内なる「共感」に救われる

 

★2017年1月21日の記事の再掲です

 


介護の「共感」に救われる

 

昨日はいつもの看護師さんが弟のところに上がる前に、私のところに来てくださったので、しばらく話をすることができました。

 

それで看護師さんに「家族としてお母さんにしてあげられることは十分してあげてますから…」と言われて、ちょっと気持ちが楽になったみたいです。

 

この程度でいいの?とずっと自問自答していたから…。そうか、いいのか…(^_^;)…よかった。

 

どうしても父の時の介護と比べて「足りない」気持ちが大きくて、でも一人ではできることって本当にわずかしかなくて、母に申し訳ない気持ちもあって、だから苦しかったのかもしれません。共感を欲していたんだなあ、と改めて思い知る…。残念ながら、介護ばかりは実体験のある人にしかわからない部分があるのですね。そこはどうしようもありません。

 

看護師さんも同世代だけあって、お父さんが入院されていると聞きましたし、そのへんがね、やっぱり同じ場所にいる感じかな?「家族としてできることは限られてるしね…」ということで、プロでもそうなんだから、私なんかどうしようもないなあ、と理解して納得した次第です。

 

難しいことですが、「親の介護」という課題にこの先ぶつかる人も多いと思います。やっぱり癒されるのは共感なんだね。その時が来たら、同じ立場で悩んでいる人に打ち明けるのがベストだと思います。解決策がなくても、共感だけで癒されるんだなあ、と思いますし…。

 


鼻のチューブが取れたら楽になると精神科の先生にも言われたし。違和感があって気持ちが悪いからあんまりしゃべってくれないのかも、とのことです。胃ろうのタイミングは先生にお任せするしかありませんが…。


でも気がかりの一つがちょっと改善された感じで、私も少しずつ浮上しています。こういうのって外的要因が結構あるんだね。

 

 

 

私でも爆発することはある

 

訪問看護師さんは私がわりといつも穏やかだと思っておられると思います。

 

でも過去に何度か爆発したことがありました。人目もはばからず大泣きしたことが2、3度。

 

まだ母が元気だった頃に、弟がアルコールの離脱症状で癲癇を起こしました。最初の頃はこの癲癇が離脱症状だとはわからなかったんですよね。(今はわかったので、予防的にもデパケンをもらっています)救急車で病院に行った時に、その時の救急担当の看護師さんがね、アルコール依存に対して誤解があったのか、理解が足りなかったのかわかりませんが、普通の病気の患者さんに対する扱いと全然違うのですね。

 

弟は治療が終わっても神経に影響してるのか何か、自分で動けないんですね。母と二人で180センチ以上ある大きな男をどうやって表に連れ出したか記憶がありません。タクシー乗り場まで行こうとするけど、そこまで動けなくて、マイクロバスの乗り場の椅子に座り込むし。

 

どうしようもなくなったんですが、私はそこで目眩を起こして、通路の石畳に倒れて起き上がる気力もなくなりました。屋上から飛び降りようかと思いましたが、屋上は施錠されてるのもわかってるし。もう倒れたまま、どうしようもなく情けなく悔しく悲しくなって、そこで号泣。

 

 

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まだ夜の9時前だったので、人通りも多かったですし、母がおろおろしているのもわかっていましたが、もうモブとかそういうのもどうでもいいやー!と思って、しばらく気がすむまで数分くらい泣き続けていました。「見られて恥ずかしい」とかいう気持ちって全然ないんです。「これは自己防衛だ」って頭のどこかが納得しているのがわかりました。

 

弟が立てるようになるまで、起き上がる気になりませんでした。で、気が済んだらスッキリした。

 

思い出してもいまでも恥ずかしい感情なんてないんですよね。生きてるからそれでええやん!という開き直りみたいな感じで。以後も本当に堪えきれなくなったときは人前でもかまわず大泣きしています。こんな時にプライドなんてどうでもいいや、といつも思う。助けてくれない他人の視線なんかどうでもいいや、とも思うし。

 

 


いつも救いのイマジナリー・フレンド

 

私のそばにはいつも第三者的な別の視線と視点が存在しています。

 

それは10代のころから大事に育ててきたキャラクター=イマジナリーフレンドであり、もともとは私の中にいたのであろう彼らの視点を借りることによって、あれはどういうのかな?一種の演技に近い感じで「いま泣いてもいいから」と言われている気がするのですね。

 

解離ではないのは、いついかなる時でも主体である私が中心に存在していること。「自分がいなくて別人格がある」ことはまったくないのです。だから必要な時間が経てば彼らの存在がちゃんと現実の私に戻してくれる。非常にありがたいものだと思っています。

 

 

 

私の身近なキャラクターたち。

 

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本当はずっと物語が存在するから、すごくたくさんの老若男女のキャラクターが存在するんですが、代表的なものだけ(^_^;) もっと理性的なキャラもいるんですよ。

 

 

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いまはもう漫画は描かないですが、すべてのキャラクターに生まれ育った背景も性格もちゃんと存在するんです。

 

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言ってもせんないことですが、彼らの物語をきちんと描いてあげられない私の力不足が悔しいです。

 

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ああ、でもこの共感はやはり同じように大人になってからでもイマジナリー・フレンドと一緒にいる人にしかわからないだろうな、というのもとっても残念。

 

彼らがいるから、私はひとりでも孤独を感じないでいられるのです。

 

詳しく知りたい方はYukiさんのこれらの記事もお読みください (^_^)

 

 

susumu-akashi.com

 

 

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