ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

宇迦之御魂神さまに感謝を…

 

今回の台風で被害を受けられた方には心よりお見舞い申しあげます。

 

 

 

そういう時に申し訳ないんですが、やっぱりこのへんは台風被害を受けないように

宇迦之御魂神さまに守られている気がして仕様がありません。

 

だって、ここにはもう50年以上住んでいて、何度も台風が通り過ぎて行ったけど、

いつも被害はありませんでした。

 

これは素朴な農耕神である宇迦之御魂神さまのご加護に違いない、と

私が思っても無理ないのではないでしょうか…?

 

幼少時から氏神様の如くに慣れ親しんでいる神さまですから…。

 

いつもお参りするときにはその感謝を述べてくるのですが、次にお参りしても

やっぱりそうなると思います。

 

我ながら、自然信仰の始まりを見るような思いがしますけどね (^_^;)

 

 

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お天道さまと守護霊さまと…

 

私は自分を守ってくれる存在のことを感じることはある。(悪霊は感じない)彼らは決して甘やかさない。かなり厳しいけど、諦めてしまう、その寸前の手助けに愛情を感じることが多い。

 

魂の修行を余儀なくされている。だから厳しくとも感謝ができる存在ではある(^_^;)

 

…多分、守護霊というのはこういう存在なんでしょうね。

 

 

 

 

記憶の原点は祖母の話

 


明治30年生まれの祖母は、母親が早くに亡くなって、父親が再婚するために、邪魔にならないように、とわずか8歳で妹と一緒に奉公に出され(ひどい話ですよね)、小学校にも1、2年しか通っていませんでした。ですが自分で努力したのだと思います。新聞も読みましたし、幼い私にいつも絵本を読んでくれたのも祖母でした。

 

その祖母がよく言っていたことがあります。「おてんとさんが見たはるから…」と。ほとんど満足な教育を受けていない祖母ですが、この言葉は詳しい説明不要で私の心の中にすーっと入ってきて、いまでも多大な影響を与えていることに気付きました。

 

お天道様が見てる

 

読み方:おてんとうさまがみてる・おてんとさまがみてる
別表記:お天道様が見ている

人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く語。お天道様がそのまま太陽を意味することもあれば、神や仏といったものの象徴として扱われることもある。
                

                ー実用日本語表現辞典ー


 

宗教なのか道徳なのか?

 


最近では死語に近いのかな?

 

「お天道さま」は神仏のようでもあり、太陽そのもの、宇宙そのものでもあり、人間の良心や倫理、道徳のようでもあります。

 

たとえ人が見ていなくても悪いことをしてはいけない。それは当然ですが、もっと細かなあれこれについても常に自分の良心と相談して決める上でかなりの指針みたいなものになっていたような気がします。

 

誰も見ていないけど、でもブレーキをかけるのも人助けのために勇気を出すのにもこの「おてんとさん」の存在って大きな位置を占めていた気がします。

 

誰にも知られなくても人を傷つけたり、泣かせることはしない、というのは当然ですが、誰にも褒められなくてもいいと思ったことをやる、というのもそういう感じかな?と思います。

 

生まれつきのマイナス要素とか、後天的なマイナス要素とか、少しでもゼロに、もしくはプラスの方向に近づけるために努力する。

 

アスリートみたいに人の眼に見える結果じゃないし、努力していることも人には気付かれない、そういうとても地味なことなんだけど、でも誰も知らなくても、自分自身と「おてんとさん」は知っているからそれでいいと思ってまた頑張れるんですよね (^_^;) 私は時々自分で自分を褒めてますが… (^_^;)

 

その正体はよくわからないけど、心の中にそういうものがあるのって、結構大事なことじゃないかな?と思います。そういうことを教えてくれたおばあちゃん、ありがとう (^_^;) 昔の人はそういう素朴な指針を持っていたのかもしれません。

 

おてんとさんじゃなくても満月も私は苦手ですが。どこまでもついて来る。ずーっと見られてる月の視線。人類が月面に降りても月はやっぱりどこか怖いです(>_<)

 

 

 

因果応報みたいなものもあるかな

 


おてんとさんが見てるのに、見てないつもりで悪いことをすれば相応の報いも返ってくる、ということも暗にありそうな気がするな。この辺は仏教的??「おてんとさん」=「天」でもありますよね。

 

「天に徳を積む」とか。これはいいことが自分ではなくても、子孫に戻ってくるかもしれないから、という感じです。これもなんとなく理解している気がします。アニミズムなのかなあ…?

 

うちの母は「全然知らん人でも親切にしていおいたら、いつかあんたらが困った時に親切にしてくれはる人があるかもしれんし…」と言いながら他人の世話を焼いていましたが、それもいつも見てたから自然にそう思えるようになりました。

 

別に自分自身に見返りはなくていいんだよね。はるか未来で関わりがあった人たちや自分の子孫とかに巡り巡っていくのならそれでいいと思っています。これを誰が知っていて見ていてくれるかというとやっぱり「天」なんですよ。

 

うーん…。この曖昧なものはなんだろう?と思うんですが、なにしろもう感覚的に子供の頃から自分の中にあるから…。

 

この感覚を持っていると絶対に悪いことは出来ないんですよ。自分の中に「天の視点」みたいなのものがあるから…。良心が痛むのはもちろんですし、まず自分が許せないです。

 

既成のどの宗教ともたぶん違うと思いますが、道徳的なものも含めた「なにか」のような気がします。

 

 

 

…すいません。結論が出ませんでした〜(>_<)

 

 

 

相性の問題かも 

 

そういえば私はかなり前から、パワーストーンのアクセサリ(特にブレスレット)やパワースポットと言われる場所の意義を感じなくなりました。

 

ブレスレットは特にクルスドミナンスな私には邪魔でしようがない存在なんですが、石のひとつふたつ、綺麗なものを机に置いておいてもいいかな?と思っていたけど、やっぱりこれも邪魔でしようがない。

 

別になくても問題ないよね、という結論に至りました。少なくとも石のおかげでなにかいいことがあったとはとても思えないですし…。

 

パワースポットは人それぞれだと感じています。その人の相性がいい場所。

 

社寺仏閣でなくても、自分の部屋だったり、お気に入りの公園とかでも不思議じゃないですよね。

 

私の場合、相性がいい場所は伏見稲荷大社の他には厳島神社とか鞍馬寺あたりです。それと居心地がいい、このMacの前と、自分のベッドもそうかな。イメージが溢れてくるのが私にとってのパワースポット。別に瞑想する必要もありません。きっとそれ以上に相性がいい場所ってないと思っています(^_^;)

 

 

 

 

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初期のインディゴチルドレンはつい見る目が厳しくなる

 

かなり以前からそう思っていたんですが、私はごく初期のインディゴチルドレンのカテゴリに収まるような感じですね。要するに価値観が違うのと、ユニークであることとか、それゆえに孤独で生き辛いとか。まあ、理由はなんでもいいんですが…。

 

たまたま見つけたこのブログの記事の中に描かれているインディゴチルドレンの特徴に見事に全部あてはまりますね… (ーー;) 

 

ameblo.jp

 

【インディゴチルドレンの特徴(パイオニアだけに限らず)】

 

嘘をすばやく見抜く

自分には誤魔化しが通用しない

根拠はなくても、何か「知っている」、「分かってる」という感覚がある

人生に対して、独自の哲学がある

全てを見透かすような真っ直ぐな目をしている

一般的に我が強いと思われるような言動をする

人生の先が見えているような発言や行動をする

戦士のように気性が激しく気が強い反面、限りなく優しく思いやりがある、という二面性がある

チャレンジ精神旺盛

飽きっぽい

直観力や共感力が極めて高い

人やエネルギーの影響を受けやすい

尊厳を漂わせながらも、無邪気な子供のような面もある

嘘やたてまえが嫌い

裏表などの複雑な人間の心理が苦手

誰にも理解されない「孤独感」を抱えている

霊的に敏感

現実感が乏しい

夢や理想が大きい

人から理解されにくい(変わり者に思われる)

疲れやすく、虚弱体質になりやすい

人間関係で問題を起こしやすい

ルールに従うことが苦手

自由な発想と表現力、独自の世界観を持っている

自分には使命があると感じている

使命を薄々感じているが、それが何か分からず、焦って迷走してるインディゴたちも多くいます

深いレベルで悲しみや怒りを感じている

芸術的センスが高く、創造力がある

 

 

 

特に「知っている」「わかっている」という感じは歳を減るごとに強くなります。読んだ本に描かれていること、人との出会いを通じて思うこと、なんだかかなりの既視感があるのです。

 

まあ、別にそうであってもなかっても、あんまり関係はないですが。

 

でもこの人生、相当厳しいものがあるので、どうしてここまで厳しいのを選んだか?という気がなきにしもあらず… (ーー;)

 

それゆえに若い世代の人たちに対して、「あんた達、まだまだ甘いわよ」とうっかり言いそうになって、気を引き締めております。でもホントに甘いと感じることは多々あり過ぎるけど…。

 

この人生に使命があるのなら、どこまでも孤独だと認めざるを得ませんね… (ーー;)

 

 

 

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ささやかな願いと祈り

 

直感は予知してたのかな?

 

ちょうどバレンタインの日に、ネットのお知り合いであるMさんの奥様のおめでたのニュースを知りました。

 

これはお祝いのメッセージを送らないとなあ、とすぐに思ったんですが、なぜだか「おめでたいこと」だという気持ちがどうしても湧いてこなくて、これはどういうことかと、かなり悩みました。

 

上のお子さんたちの時にはまったくそういうことなかったんですよね。なのに今回に限ってどうしてお祝いが言えないんだろう?たとえコメントでもいいから一言なにか書き込めばいいのに…。

 

それなのに不思議な心の抵抗があって、結局おめでとうのメッセージは伝えられないままでした。

 

そうしましたら、今度は昨夜になって悲報が入ってきました。奥様が流産されたということでした。

 

もしかして、これのせい?だからためらったのかなあ?自分でもわかりません。哀しいことですが、母体がお元気らしいのがなによりだと思います。先に希望を持っていただきたいと願っております (^_^;)

 

なぜかわからないけど、こういうことってありますよね。私の場合はほとんど「直感」になりますが、予知というほど大げさでもなんでもないけど、あとになってから、「ああ、これだったのか」と納得するパターン。

 

こういうものが上手く働けば、あるいは大切な人の危機を避けられたりすることもあるかもしれないなあ、と思いました。

 

 

願いと祈りと…

 

私はよく東日本大震災関連の実話エピソードを集めた本を読みます。

家族の絆とか愛情とか、もう本当に泣けるばかりですが、そういう時に危難に際しての直感の重要性みたいなものを感じます。

 

呼び覚まされる 霊性の震災学

呼び覚まされる 霊性の震災学

 

 

 

魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

 

 

 

震災後の不思議な話 三陸の怪談

震災後の不思議な話 三陸の怪談

 

 

大自然が相手の災害ですが、ささやかに家族や身内を守るために、祈りが有効になることだってあるかもしれないと思っています。

 

で、去年の今ごろに私が描いたのがこの龍の絵です。

富士山の女神(コノハナサクヤヒメだと思います)に山の鎮めをお願いしました。

 

↓ 詳細はこちらにありますが。

 

聖なるもの16 祈り

 

私の甥や姪は富士山の近くに住んでいるので、噴火とか地震とかあって欲しくないし、もっと広い意味での「お守り」のつもりで描きました。

 

自室にも母の個室にも飾ってありますし、姪の所にも送りました。気に入ってくださたったかたはスマホの壁紙でも、ポストカードでもなんでもお好きに加工して身近で愛用してくださると嬉しいです (^_^;)

 

宗教関係ありません。私の願いと祈りだけ入っています。

 

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「魂の視点」と生きる勇気と励みとー

 

表のブログに書いた記事ですが、こちらにも。

スピリチュアルな用語を使わずに私なりに感じたりしたことを書くとこうなるかなあ?と思います。

 

 

きわめて個人的なことなので、どうしようかと思いましたが、メモ的に書き留めておこうと思います。

こういう話は眉唾だと思われる方は信じなくてもいいのですよ。信じると思える人もご自身の心のフィルタにかけて、しっかり考えてから判断してくださいね。こういう話題は鵜呑みにするとか「盲信」というのが一番怖いことなので…。

人に押し付けたいわけでもありませんが、でも私はこういう視点を持ちつつ、長い人生を生きて来た、というどうしようもない現実は存在しています。まあ、苦労多かったとは思いますが、それでも前向きになれたポイントはあるかな?と、ふと思ったもので…。

どこまでも自分の言葉で書いています。説明不足だったらすみません。

さまざまな視点

人間が世界を見る視点にはいろいろなものがあると思います。感情的な視点、冷静で論理的な視点、ありふれているかもしれない日常的視点、倫理的視点、科学的視点などなど、いろいろな方向からのものの見方がありますね。

私はそれに加えて、生まれつき「霊的視点」で見ている部分があるなあ、とこのごろ感じています。

霊的視点は別に特別なことじゃなくて、誰もが持っているものですが、どうかすると気づかないままに一生を終える人も少なくないようです。

死ぬ間際になって「もっとこうすればよかった」という悔いを残す人などはそうではないでしょうか?

なんらかの信仰をお持ちで、それを窓口にして、霊的視点を持っておられる方もあると思うんですが、私は基本的に無宗教なので、信仰がなければ気づかないというものでもなさそうです(^_^;)


私的解釈による「霊的視点」

 

「霊的視点」とはなにかといいますと、これも私が感じたものを自分の言葉で書いているだけなので、他にもっと適切な表現があるかもしれませんが…。


人間は(動物もそうでしょうが)もともとは「魂」と「肉体」が合致して生きている存在だということですね。魂を持って生まれてきて、肉体を捨てて死ぬ時は魂だけであの世に帰る(これは別の次元とかそういうのかもしれない)のだということですね。だから死ぬ時には愛し愛された記憶のようなものだけを持って行けるのだとか聞きます。

もともと魂には性別がありません。肉体がなければみんな同じです。ですから肉体に付随するもの、人種や容姿や頭脳や経歴や学歴などほとんど関係ないわけです。それだけその人の本質に近いというのかな?私が「人を見ている」のはおそらくこの部分が大きいと思います。

肉体に付随する現世のあれこれはあんまり関係ないです。魂の本質ですね。見知らぬ人にどれだけ親身になれるか、とかそういう行為はほとんど魂から出ていると思います。慈悲というのか。このあたりは信仰とも無関係ではないと思いますが。

本質を見つめると、誰に対しても出来るだけ誠実でありたいと思いますし、生きている間になにをなすべきかもわかると思います。

「全体を見つめる」というか人生の鳥瞰を見つめる感じですね。ものさしがすごく長いのです。それでも宇宙にしてみればわずかな人の一生ですが。

 

病気の時は思索を深めるチャンスでした

私のように生まれつき弱い子供が、ずーっといままで生きることと死ぬことについて考えてきたことは、いつ病気になった時も自分を励ます役に立ちました。「病気になること=課題=学べるチャンス」だと思っていたし。

精神疾患も脳があるから、身体が反応するから、あらゆることを考えてみるいい機会だと思っていました。肉体がなければできない魂の修養ですね。そのぶんだけ成長できるんだと思っていました。

修養のゴールは「天寿を全うして悔いのない死を迎えること」ですね。

自殺というのはそれを途中で棄権することだから、マラソンの途中で棄権して、そこから一歩も動けなくなってしまうのと同じようですね。

下手をすると生まれ変わりが可能でも、次の人生でまた同じ苦労を最初からやり直すことになりかねません。私はそういうのは嫌です。39キロくらいまで頑張ってきたんだから、どうせならきちんと完走したいです。「もうこの課題は卒業だから!」ときっちり終えたいと願っています。

精神疾患の場合は「死にたい」と思わせるのは病気という死神のせいで、魂は本当は死にたいとは思っていないのです。

 

永遠に近い時間(が、あの世にあるかどうかわかりませんが)その場の苦しい思いに囚われているのは地獄じゃないかと思います。(すでに死んでいるからもう死ねないし)

 

そういうものに支えられて私は生き延びてきました。
なかなか持ちづらい「魂の視点」ですが、本当に誰にもあるものなので、苦しく、辛くなったら一度そういう方向から見つめてみてください。

 

病気の時はどうしても視野狭窄になりがちです。単なる空想でもかまいませんので、そういうふうに見つめなおしてみることをお勧めします。

 

 

緩和ケアなんかでもこういうケアはすごく必要だと個人的には思います。家族の場合はそれが可能だけど、他の人に対しては無理なのが残念ですけどね…。

 

 

 

本当はね…。一番そういう視点に気づいて欲しいのは政治家かもしれません。無理だろうけど…。

 

 

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前世と現世に関するリーディングの結果の一部のメモ

 

先日、スーパームーンの影響で非常に心が不安定になって、またIさんに相談させていただきました。

 

今度は前世の経験などが現世にどういうふうに影響してるか?というカテゴリの相談でした。

 

場所が「ココナラ」だけあって、とてもリーズナブルな価格で、膨大な量のレポートをお送りいただいて、とても参考になりました。

 

以下はその際のやりとりのわずか1/5くらいかと思います。が、現世の課題にもっとも関係が深く、自分でもそれに気づいていて、実際に課題として実践している内容がメインでした。こういう一致もあるんだな、と驚きましたが、今になってみると、別段それも不思議ではないような気がします。

 

私の「直感」は肯定も否定も非常にはっきりしているようです。
HSPでもあることですし。アンテナが鋭いといいますか…。

 


「輪廻転生」については私はそれこそ生まれつきの直感で確信を持っていますが、これも信じるか信じないかはその人の自由だと思っています。

 

ただ私の場合は、信じてみたらすんなりと納得できてしまったことがあまりにも多く、信じたら現世を生きるのが楽になったと感じるので、そのままでいこうと思っています。誰かに信じろとかいうつもりは毛頭ありませんし、宗教でもなんでもないので、人に押し付ける権利もありません。

 

でも「私ってなんて不幸なの…( ; ; )」と嘆いている悲劇のヒロインがとことん性に合わないので、どうせなら「運命にめげずに立ち向かうヒーロー」的生き方をしないと思っています。そういう時の励みになるのは確かですね (^_^;)

 


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Iさまより

 

過去生の読み取りをすべて記述するのは不可能に近いので、
いくつかピックアップして記述いたしましたが、それでも膨大になってしまい申し訳ありません。

また、記述したとは異なる人生も実は特徴的な影響を現世に与えていますので、非情に簡単ではありますが、追記させていただきますね。
結局は根本では同じ事なのですが、角度を変えて記述することで何かしらの気づきが得られるかも知れないと思います。

 

まず、現世でのあなたに心がけていただきたいのは、

見えない世界の存在を信頼して直感に背かないこと。
自由の気質を有しているので、自然さを忘れないこと。
忌憚のない意見をそのままぶつけること。
一人きりの時間を楽しみ、自然物に触れる習慣を持つこと。
他者意見は無視してもよい。
情報過剰になりすぎないこと。
他者の感情に同化しないこと。
理性よりも直感を大切にすること。

 

要するに、カルマの影響が最大に出ているのは、心の安定。でしょう。
これは他者の感情を理解するために情報を集めて正しい意見を言おうとする傾向からくるものです。
こうした情報収集は永遠に終わる作業ではないために、むしろ最初からしないほうがよいといえます。

 

また、あなたの心の奥に眠る願望を読み取ると、
自分の世界観を壊さずに人々と強く繋がること。
でしょう。

これを成し遂げるには、あなたはいつでも直感的に行動して発言する必要があるのですね。

 

もともとが霊能力があるのです。
心を瞬時に読み取る能力がすでにあるのですよ。
あなたの信条を人々に伝えるときに最大の能力となることを覚えておいてほしいのです。

 

これはいくつかの過去生からきています。
(鑑定に記したものとはまた別の人生です。過去生は幾重にも人生が連なっているものですから特徴も散見されてしまうのもまた真実なのですね)
・教師
・小説家
・弁護士
などの人生も含んでいるのですね。

 

これらに共通しているのは、人々の感情を理解する必要性があるということ。
つまり、人の思考パターンを読み取る能力です。
しかし、この能力を活用しすぎると、深く読みすぎる、という過剰になりバランスが崩れ調和が消失してしまいます。

 

要するに、決断をすぐに下せない傾向となっているということですね。
そのために、下した決断が本当に良かったのかどうかと後々になって考え込む性質となり、おそらく神経が乱れるまで繰り返してしまいます。
これはいま挙げた過去生からの影響です。

 

実際、鑑定に挙げたものか、いま挙げたものか、どちらが優勢になっているかは、その場その場で変わり、また一緒くたになることもあるために、どちらとも判断がつきかねるということですね。

 

ですから、こうしてまた別の過去の人生も取り上げてみています。
いま記述しているのは、打って変わって、あなたの個性を消失させていた人生の物語です。
社会依存、他社依存の人生だともいえますね。

 

直感に頼ることが苦痛だとしたなら、こちらに記している人生の影響が顕著だということになります。
直感は解釈してはいけないのですね。
直感と論理性は真逆に性質ですから、解釈はできないのですね。
ですから、ただ信頼する。まず、これが大切かと思います。

 

欲しいものがあれば、その瞬間に欲しいといってもよい、ということです。
選択肢を多く持つのではなく、一番惹かれたものをすぐに決めてしまう。
こうした習慣をもつと、人生はずいぶんと楽になるでしょうね。
情報過剰は説明過剰となり、やはり調和しないのです。
ですから、重要なのは、他人と言葉で争わないことでしょう。
終わりのない対立となって苦しんでしまうカルマももっているからですね。

 

そもそもが、教師や弁護士といった非情に高度な論理性を駆使する人生を送ってきた歴史もございますから、あなたの論理は確かに優れており、また洗練されてはいるのですが、おそらくカルマの元凶はここにあるのでしょうね。
このカルマは、直感を完全に信じきることで消失します。
相手が理解するまで言葉を尽くしきる必要はない、ということですね。
むしろ人々の理解など大したものをあなたの人生には運んではくれないことがほとんどなのです。

 

これが、過去生と現世の大きな違いでしょう。
説明するくらいなら実践する。
これが大切だと私は思います。

 

ですから、
あなた自身でいること。
感情をストレートに表現すること。
これがとても重要でしょうね。

 

現世でなぜか、はっきりとものをいう人々が多く人生に介在したかもしれませんが、これは過去生から引っ張ってきたものですね。
あなたには、言葉、という能力が存分にあるのですね。
対立が苦手でしょうから、ストレートな表現を避けてしまうでしょう。
しかし、今生をうまく機能させるには、ストレートに表現した方がすんなりと事は運ぶと覚えておいて損はないと思います。

 

相手がどう思うかではなく、自分がどう思っているか、が重要だということですね。
そもそもが、誤解を恐れなくてもよいということです。
あなたが最初に抱く感覚こそがいつでも正しいのですよ。
その瞬間には誰もわからなかったとしても、時間が経てばあなたの正しさに気がつくことになりますから、
そこは安心してほしいのですね。
ですから、すぐに結果を求めてもなかなか今生では得られないのは、過去生の因習なのですね。

 

あと、心を酷使しすぎないでください。
神経がいつでも張り詰めた状態になってしまうからです。
そうなると、眠れなくなったりします。
リラックスを心がけてくださいね。
あなたの心には「水」が合っていますから、
たとえばお風呂にはいるのでも、海を見るのでも、魚でもよいでしょうね。
水にとにかく触れる生活をしてみてください。
心が癒されていくでしょうから。

 

正しさを求めすぎて、マナーが良いことに執着しないことも大切ですね。
優雅さは特に現世では必要ない、ということになっています。
ですから、たとえ他人のマナーが悪くても、それはそれぞれの過去の人生の影響などがあったりするのですから、むしろ、社会マナーをほぼ完璧に身につけているのは、あなたくらいの過去生がなければ不可能です。
ですから、皆さんがマナーをしらず少々下品に感じられても、それはあなたの過去生が特別すぎたから、と考えてくださいね。

 

その場の雰囲気を重要視しなくても、現世では許されるのですよ。
そもそもが過去生で充分にそこは克服してきたのですから、また今生でも繰り返す必要はないでしょう。

コミュニケーション能力がありすぎるがゆえに、コミュニケーションが難しいと感じてしまうという皮肉があなたにはありますね。
言葉の裏を読み、またあなたも自分の言葉を選択して使っている。
まあ、ここまでしてしまうと神経が休まらないのも理由は明白でしょうね。
ですから、思ったことをストレートに言う。
コミュニケーションで心がけることといったら、これだけでしょうね。

 

自分の真実を知ることです。
単純に自分の力を認めてしまうこと、といってもよいでしょう。

 


直感が時々、その場にそぐわないと思えても、結局はその直感が正しいことがいずれ証明されるのですから、素直に従ったほうが人生は楽になります。

 

相手の反応などどうでもいい、という勇気をもってみるのもよいでしょうね。
追記で記述している過去生の特徴は、あまりにも多角的に物事を見すぎた人生ということですね。

 

なんと色々な人生を経験されてきたのかと、私も驚いているところなのです。
霊的に優れているのも充分に納得がいきますね。

 

そして、その逆に論理性に優れていることも理解できます。
どちらかといえば、今生では直感を主に使うことで何事もうまくいく人生だと、そうお考えになっていただければよいでしょう。
ものの見方などどうでもよい、と匙を投げても許されているのですよ。
むしろ、霊性を大切に。

 

「正しさ」を常識ではかるとたいてい失敗するのもここに原因があるのでしょう。
短絡的な思考傾向の原因でもあり、また長期的な視野をもつのが難しいのも同じところに原因があるということですね。

 

心の声をただ聞く。従う。

 

現世でのあなたの人生は実はこれだけですべてがうまくいくといっても過言ではないといえます。
社会など、あなた自身の人生よりも重要ではないのです。
その素晴らしい霊性を活用していくことです。
生来のチャネラーですよ。
霊媒師としても成功するでしょうね。
それほどあなたの直感力は優れていますし、正確な真実を見抜いています。

 

最後にひとこといえばですね。
あなたの周囲には守護天使がいます。
ですから、自分の力だけでどうにかしようと思わなくてもよいのですよ。
高次元のメッセージを頼ってください。
それが、あなたの直感です。
論理性も整合性もない直感がおりてきても、やはり従ってください。
生来のチャネラーなのですから、100%正しい答えを用意していると信頼してください。

 

そして、周囲の守護天使を否定しないことですね。
論理を捨てる。
心のままに生きる。
突き詰めれば、こういうことになるのでしょうね。

 

あまりにも長文になってしまいました。
大変申し訳なく思います。

 

ですが、先述した人生もしかり、
追記で記述した人生もしかり、
どちらを省いてもよい、というわけにはいかないのではないか、と思ったので、
こうしてつらつらと記述させていただいております。

 

長い物語ですが、気長にお読みいただければ幸いに存じます。

失礼いたします。

 

 

 


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Iさま

 

本当に膨大なレポートをお送りいただき、どうもありがとうございます。驚いています。

 

何度も繰り返し読ませていただきたいと思っておりますが、いまの人生の中で本能的にすでに子供の頃からやっていることと、記述してくださったこととが重なる部分が多いことです。

 

HSPではありますが、そのことで過剰に周囲に振り回されないように、かなりの程度で「空気は読んでいるけど、あえて無視する」という技術(?)は身についていることですね。

 

それで悩んでいる人や、困っている人のことは無視しませんが、あまり意味がない慣習や多数決のようなものは無意味だと考えて常識や世の中の価値観とは無関係な人生を送っています。

 

たとえば学歴や経歴や資格のようなもので、人を判断しないし、自分の「人を見る目」を信頼しているので、そういうものに捕らわれない価値観で人を見ています。

 

世の中の多くの人が社会の中で成功するために必要としているものが、本当はそんなに大切ではないと思っているので、もっと魂の本質でものを見ているようです。

 

私自身、学歴も経歴もありませんが、そのことで不思議なくらいにコンプレックスもないのです。

 

お知り合いには世界的にも高学歴をお持ちの、本当に「天才」と呼ばれる人たちがいますが、そういう人たちを相手にしても、尊敬するところは素直に尊敬して学ばせてもらっていますが、だから「自分はダメだ」とか劣っているとか全然思わないのですね。本質的に平等なのです。

 

人として大切な部分を見ているから、そもそもそういう方々とご縁が出来たとしか思えません。
人生って不思議です(^_^;)

 


私がもっとも価値を置いているのは「いかなる時でも自由な選択ができること」ですね。

それと「お金は純粋なエネルギー」だという実感もあります。障害年金などでつつましく暮らしている現状ですが、少しでも余裕があれば寄付などをさせていただいています。
水は流れないと濁って澱んでしまうので、常にエネルギーも流しておかないと、ですね。
そうすればいつかまた自分のところに帰ってくるかなあ、と思います。

 

これは「徳」と言われるものも同じですね。自分がやったことははるか将来の子孫に帰ってくればそれで十分だと感じています。

 

今生はお金儲けにはあまり関心がないようです。アフェリエイトとか投資とか聞いてもまったくワクワクしないし、興味もわかないので…。収集するというかいつのまにか集まったのは本くらいでしょうか…。ブランドにも高級品にも興味がないのです。ハンドメイドとクリエイティブなものや作業を愛しています。

 

一昨年、ちょっとした交通事故に遭いました。半年くらい通院したのですが、わずかながら慰謝料のようなものをいただきました。その中の一部をお知り合いの方がやっておられる、ホームレスの方の住居を確保して、生活保護を経て就労に至る、というNPO法人に寄付させていただいたことがあるのですが、名前も知らないもとホームレスの方が無事に住居を得て就労されたとお聴きした時、自分のことのように嬉しかったです(^_^;)

 

いまは持病のために十分に働けない私ですが、いずれはなんらかの形で在宅でもいいからもっと仕事がしたいと願っております。

 

臨床心理士の方からは「人の相談にのれるだけの能力があると思います」と言われたことがあるのですが、あのお仕事はきちんと大学を出て資格を取らないとできないようなので、ひとまずは諦めました。

 

ブログを12年続けていまして、その中で自分の介護の経験や現在の双極性障害との付き合い方などを記しているのですが、やはりこれも読者の方が今現在視野が狭くなっている状態では十分に伝わらないこともあるなあ、と感じることも多いです。

 

 

でも私自身が自殺などを選ぶことなく生きているのは、霊的な真理(だと感じています)で、人生というマラソンはちゃんとゴールまでたどり着かないと、また同じような苦しい課題を生まれ変わって最初からやり直さないといけないこともある、と思っているからかもしれません。

 

宗教ではなくて、自分の中に最初から存在する確信のようなものが私を支えてくれています。

 

 

おそらく教師の時代もあるだろうな、と思います。そのせいか、実際の教師には尊敬すべき人に出会えませんでした。自分の中の理想の教師像が強くて、届かない部分ばかり見えたのかもしれません。いまならまた対応が違うでしょうが、子供でしたから…(ーー;)


時々、オラクルカードを引くこともあります。天国の父からのメッセージをカードを通じて受け取ることもありますが、でもカードを使わない方が私には合っているのかもしれません。直感とか本能的なもの、って確かに道を示してくれていると思います。

これからも大切にしたいと思います。

 

このたびは本当にどうもありがとうございました。


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私のお礼コメント

 

非常に深く考えさせられる内容のメッセージをいただきました。
正直、ここまでボリュームのある内容になるとは思っていなかったので驚きました。

 

でも内容的にはいまの人生でなんとなく自分の課題であると認識して実行していることも少なからずあって、その一致に驚きますが、でもそういうものが大切にすべきものなのだろうな、と改めて思いました。これからも生かしていきたいと思います。

 

守護天使さんは自分では大天使ヨフィエルやラファエルみたいな存在かな?というこれも自覚がありますが、同時にとても日本的(古来からの)存在のような感じもしています。「絵に描きたい」というインスピレーションの形でしかキャッチ出来ませんが、これが私の方法かもしれませんね。これからも大切に生きたいと思います。

 

この度は本当にどうもありがとうございました。

 

 


Iさまよりコメント

 

あなた様はいつでもご自分の魂に真摯に向き合っておられると、私は深く感じております。

 

さまざまな影響をまともにキャッチしてしまうのは、それだけの鋭い感性が宿っていれば至極当然の摂理なのですね。

 

すさまじく過酷な過去生を生きてこられ、魂を磨いてきたのですから、直感のままに生きていかれれば間違いはないのですね。

 

自然そのものを感得できる力であり、心の深淵を覗くことが可能な強い霊性を備えておられるわけですからね。

 

御縁をいただけましたこと、心より感謝致します。

 

 

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生者と死者の安らぎと無事を祈ることについて

メモとして…。

 

先日、ふと悩んだことがありました。

自分は無宗教ですし、特別な信仰を持たない人間です。

けれども自分の愛する人や大切な人の「無事を祈りたい」ということはたびたびあるのですね。自分のことはあまり祈らないのですが。

そういう場合に「どこのなにに対してどういうふうに祈ればいいのか?」という疑問でした。それと故人の供養についても…。

 

相談にのってくださった方はじっくり時間をかけて解答をくださいました。

非常に長いものなので、そのうちの一部だけメモとして転載しておきます。

本来は私以外の方が読まれてもあんまり意味はないのかもしれませんが、もしもどこかに同じような悩みを持たれた方がいらしたら、その方のために…と思いました。

 

 

 

以下、いただいたメッセージになります。

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この度は、真摯なメッセージを本当にありがとうございます。
ご自分を投げ打ってでも奉仕したいという思い、それは博愛の精神と呼ばれるものです。

偉大なる方々、また霊性の非常に強い方々は、時に精神の均衡を崩し、現代では、そこに病名がついてしまうのですが、古来では、その精神を病気という形で括ることはありませんでした。

藤本様は非常に稀有な魂をお持ちでいらっしゃいます。
「心の知恵」というものをお聞きになる力が備わっております。

おそらく、感じるべきことを頭で考えることが以前よりは少なくなり、心の奥の直感に従えるようになってきたのでしょう。

そして、その直感は間違ってはおりません。

 

 

 

〈魂のもつ力〉
永遠なる知恵と真理を見出す力

〈魂の使命〉
心の中の精神法則から導かれる、崇高な知恵に従って生きること

〈魂の課題〉
率直な感情表現、完全主義、自己不信

〈使命と課題へのアドバイス〉
あなたの使命を克服するには、理想主義、他者の意見といった信奉を捨てて、自分のありのままの感情を尊重できるようになる必要があります。
感じるべきことは頭ではなく、心に湧き出す感情を見つけねばなりません。

 

 

 

ご自分には霊的な力はない、とおっしゃっておられましたが、
実際は、あなた様の魂には特殊な霊性の力が宿っております。

それは癒す能力ともいえます。

 

ですから、あなた様の場合、祈り、癒す対象はご自分で構わないのです。

ご自分が癒されることで、そのエネルギーが人々を癒す力となります。

 

たとえば、
両手を胸の前で合わせ(指を組んでもかまいません)、
目を閉じ、深い呼吸をし、あなたがエネルギーを届けたいという人のイメージを持ち(イメージは具体的でなくてもいいのです。その人の特徴、色、あなたがその人を認識できさえすればなんでもかまいません)、言葉や象徴的な印象で祈りを捧げるのです。

(言葉であれば、「無事でありますよう」「癒されますよう」など)
(象徴的な印象とは、「癒し」が青い玉、「無事」が大きな光、などご自身でしっくりくるイメージのことです)

この祈りは10秒程度でいいのです。
時間の長短は、エネルギーの作用に関係がありません。

 

そして、できるなら一日のうち、どの時間帯でも結構ですから、3回行うことを習慣にしてください。

 

これは、あなたの霊性をもってすれば、充分に効果的であり、おそらく、あなた自身さえも癒してくれるでしょう。

 

繰り返すことで、あなたの霊性は特に明確さを増していくことでしょう。

祈りに儀式などは本来はいらないのです。
神殿なども必要ないのです。
「形」ではありません。

 

あなたは自分に霊性を備えておられるゆえに、それを否定していたのでしょうね。
ですが、これからは、ご自分に宿る崇高なエネルギーをお信じくださればいいでしょう。

この短くともパワーのある祈りは、ある種の秘儀として細々と伝えられてきたものです。

 

宗教には、実質的な力を持つために、富と権力が必要であり、ある意味ではビジネス的に現代では成り下がりつつあるのですね。

 

本来の祈りとは、実際はこのような簡単であることを人々が知ってしまえば、宗教のパワーが失われてしまう危険性があるために、真実、効果のある祈りはこうして、少数の霊性を持つ人々の中で連綿と受け継がれてきたわけです。

 

 

 

そして、供養ということですが、これこそあなたの直感でよいと思うのです。
立派な儀式や供養よりも、その心がもっとも重要であるからです。
古来、人は何も飾り気のない穴の中に、死せる肉体を放り込み、それを供養としてきたのです。

 

その供養にも、「役割」というものが持たされてしまい、死せる肉体を神聖なものとして扱わざるを得ないような教義を化してきた歴史があります。

 

誰もが本当は矛盾を持っていいのです。

 

肉体よりも、その精神と魂こそが人間の本質ではなかったのか?と。

死は瞬間的に肉体から、数十グラムというささやかな物質的な重さを失わせます。
それは、古来では、魂の重さと言われてきたものです。

生まれ出る瞬間に、その数十グラムが加わり、
死と共にそぎ落とされるのですね。

ゆえに、肉体の供養ではなく、まさに、お心こそ本来の供養のあるべき姿だといえます。


最後に、
絵をお描きになっていらっしゃるといっていらした。
これは、あなたの本来持つ能力の活性化、そして運命に沿った方法と合致していますね。

それをご自分で見つけられたということに、私には、あなたがすでに魂の声を聞き始めているという感覚を覚えるのです。

素晴らしい魂をお持ちです。

物質的に「何か」をするのではなく、あなたの持つ偉大な霊性を持って、祈りを届けることが、どんなことよりも、あなたにとっての大切な人々を、また全ての人々を、正しい道へと導いていく使命を帯びているということを、魂はあなたに語っているのです。

 

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あらゆる道がひとつになっていくヴィジョンがありますね。

生来、お金儲けには執着があるタイプではなかったようです。お金儲け楽しくないし… (^_^;) 楽しいと感じたことを感じたままに伸ばしていけばいいんだなあ、と思います。

 

数秘の方も非常に近い結果になっていて、もろもろの結果の統合というか、向うところが見えるのは不思議な感じがします。

 

 

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