ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

たまたま辿り着いてくださった方に感謝を込めて…

 

このブログは実はどこからもリンクしていないんです。
私個人が本当にメモ的に書きたいと思ったことを書いて、書くだけで気が
済んでいるのですが、いつのまにか読みに来てくださる方が徐々に増えている?
…ということになってきました。みなさま、いつもどうもありがとうございます。

 

たまーに忘れたようにしか更新しないと思いますが、
気が向いたときに覗きにいらしてくださったら嬉しいです(^_^;)

 

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はるかな片道の旅

 

japanese.engadget.com

 

1993年に出した個人誌にボイジャーのことを書いたなあ、と

ちょっといま、壮大な物思いに浸っています。

 

打ち上げの時も知ってるけど、1993年の時も「ボイジャー頑張ってるな」と

思って励まされた記憶があります。

 

それからいまもまた。

 

ボイジャーはもう振り返らない。どこまでも銀河の彼方へ片道の旅。

元気でね。私も頑張るよ (^_^;)

 

 

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この世界で自分らしくあることは大変だけど

 

メインブログを転載しておきます。

 

 

ミニマリスト??


このあいだ、海外生活が長くて帰国された人とやりとりしていて、
「私は時々人から僧侶みたいだとも言われます」と言ったら、
「ああ、そういうのはミニマリストとも言うんですよね」と言われて
すごく意外な気持ちになった。

 

ミニマリストというと、断捨離に余念がなく、ものを増やさないことに
ライフスタイルを置いている人たち、というイメージがあって。

 

でも私はものを減らせないところもあるから、とてもミニマムな生活は無理。

 

あ、でも他人の価値観に左右されないあたりは独自性が強いかも。

 

 

 

 

 

 

 他人に迎合するのはストレスの極み

 

私が初めて自分をとりまく世界に違和感を感じたのは、幼稚園に入った時だった。
同じ年の子供たちの中に入ってみると私はとても異質だった。

 

「やりたくない時」のあえて「みんなと同じことをする」のがすごい苦痛だった。

 

私はすでにその時から、絵を描いているか、本を読んでいれば幸せだったので、
やりたくもない集団でのお遊戯とかが嫌で堪らず、ピアノの脚に掴まって
泣いていた記憶がある。

 

そのうち、お愛想でつきあって、本当に気が合う子供たちだけと親しくなって
遊べるようになったけれども。

 

小学生になってもそういう基本は同じだった。
確固とした自分軸があったとしか思えない。たかだか5、6歳の子供でも。

 

それを守らないといけないのは本能的にわかっていたから、以後はそういう
選択を心がけるようになったけど。

 

でも高校生の時にパニック発作というのはそういうまわりの世界の
違和感がそろそろ耐えられないところに来ていた可能性もあるかな。

 

私の価値観はなかなかまわりに理解されない。
まだ両親がよき味方であり、支えであってくれたのが嬉しかったけど。

 

 

 

 

男女について考える基本

 

私は魂には性別はないと思っている。

 

肉体があるゆえに生まれつきの病気や体質や障害や
トランスジェンダーの問題が生じてくる。各種の苦痛もある。

 

肉体を持って生きるというのはそういう理不尽な世界で揉まれてこいと
言われてるようなもんだよねーと思うと変な達観みたいなものが生まれる。

 

私は「その人」を判断する時になるべく肉体の性別にとらわれないようにしている。
肉体とは一つだからなかなか難しいことだけど「男だから」「女だから」を
意識しないようにする。

 

そうすると性別に関わらぬ人間力が見えてくる。
真のその人らしさも魅力に変わる時が来る。

 

ついでに言うと性別で人に惹かれることもあまりない。

 

やはり性別を超えた部分で観てるから。どうしても慈愛に近くなってしまうな。
身体的には随分不自由をしてるけど、そのぶん魂や精神などの
眼に見えないものがよくわかるようになった。

 

人の外見に悩むとかは私からするとささやかなことなんだよね。
メイクや整形で自信が持てるようになるならそれでいいけど、
不特定多数にモテても意味ないし。

 

内面の自分軸を確立させて生きた方が幸福なのは確実です。

 

まわりに振り回されずに人間力を高めて幸せになってください(^^)

 

 

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ライトワーカーだというのがぴたりとはまってしまう

 

書物の内容に関する既視感について。

そうじゃないかなあ、とは思っていたけど、私はやっぱり

ライトウォーカーじゃないかなあ、と思う。

子供の頃からそういう類の違和感はありました。

自分は特別な人間だとか、そういう意味では断じてなくて、

今の世の中の主流を占めている物質至上主義みたいなものが

ずっとまやかしだと思えて仕方がなくて、本当の幸福はその上には

存在しないというのもわかってたし、他の人と同じようには

目指せないと思っていました。

 

そういうのは多分、物質を超えたところにある価値観からきている

ものだと思っています。

だから今までずっとそういう自分の価値観に沿って生きてきたけど、

それは間違いじゃなかったし。

 

3.11の地震津波はやはり日本人の心の底の何かを揺り動かしたと

思います。

何か具体的にできるわけじゃないけど、私が私らしく生きることが

ロールモデルみたいになるのかな?と思ったりしています。

 

 

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この世はバランスで出来ている、たぶん

 

哲学や仏教などの本を読んでいると

相変わらず既視感がすごく強い。

ここ2、3年はずっとそういう「すでに知っている気がする」という

既視感があった。

 

もしかしたら、こういうことは本当にすでに知っていて、

生まれる時に一旦全部忘れてくるんだけど、

生きているうちにひとつひとつ自然と思い出してくるのかもしれない。

私の感覚としてはそういうものが強い。おさらい的に。

 

きっと転生回数も多いのではないかと想像する。

だから生まれつき知っていることが多くても不思議じゃないかも。

「知識」ではなくて「知恵」として。

 

「科学」は肉体と物質ありきのこの世の中では共通認識に

便利なものだし、かなり公正でもあるし、あなどれない手法であるとも思う。

ただし、それのみが万能ではない、というのが正直な感覚。

 

どちらでもあり、どちらでもない場所で上手くバランスを取る必要は

あるよね。悪意を持ってそれらを用いる人たちから大切な人を

守るためにも必要ではある。

 

正しい知恵を持ちたいと願う。

 

 

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今日のつぶやきから…

 

母が亡くなって半年。3年間通った特養に行かなくなって半年。

ちょっと寂しい。もう部外者だから行けないけど、時々ふっと

あの場所にまだ母がいても変じゃない気分になる。

もうとっくにこの時空間にはいないんだけどね。

この感覚は不思議だなあ…。

 

大切に思う人ほど亡き人がその人の夢に出てこない。

なぜなら後を追われると困るから。…という説はなんだか説得力があるなあ。

うちの両親もいっこうに出てきてくれません (^_^;) 

ここで頑張れと言われてるみたいです (^_^;)

 

死にまつわる話を確認しながら語るのが、きっと私なりの自分のための

グリーフケアだと思っている。

 

でも本当は一番味方なのは歳月なのよね。歳月だけが哀しみを癒す。
母の場合も、死後しばらくは家の中に濃厚な気配が残っていたけど

徐々に薄れていった。

そしていまはいないことに慣れて、父と二人でいることに安堵している。

真面目な供養は出来てないけどごめんね。

 

そういうことは理解して納得していてくれる人たちだから

たぶん気にしてない確信があるのです (^_^;)

 

我が家はこういうテーマ、生と死や病気の意味やかなり哲学的な会話を

両親としていた気がする。

それだけでも自分がいかに恵まれているか実感する。

だから彼らが言いそうなことは私にはわかるのだ。

今どこにいるかもなんとなくわかる気がする。

不思議な縁のある親子だと思う。

 

いかん、まだやはり「オレンジ」で泣ける。これはもう一生続くかもしれない。

けどそれが幸せだと思える。 

 

 

 

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愛情と執着

 

これってお妖さんも言ってたけど、知ってます?

亡き家族への一番の供養はお墓参りとかじゃなくて、

遺された家族が日々充実して笑って生きてくことなのよ。

亡き人に心配かけないようにすることなのよ。

 

逆縁見ちゃうとどうしても長く悲しむ人がいますけど、

本当に愛していれば旅立ちを見送ってあげないとダメなんだそうです。

それが本当の愛情。執着でつなぎとめてはダメなんですよねー。

 

だから今日も笑えるように楽しいこと見つける視点を大事にしたいのです(^^) 

両親の納骨いつにしようかな…。

 

 

今日を生きるために、時々あの世からの視点で生活を見てみることも

結構有意義です。

 

生涯を超える視点とスケールが持てるので、小さな悩みが

馬鹿馬鹿しくなります(^_^;) 

私は結構やってるな。哲学的でもありますし。価値観も違ってくるし。

 

遠からず終わりの日がくるので、それまでに後悔しない日々を

過ごしたいものです。

 

 

あ、それでこれはやはりお妖さんの説明ですが、

「相手の幸せを第一に寝返るのが愛。

子供っぽい欲で自分の思うようにするのが執着」だそうです。

 

 

 

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