ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

 

お天道さまと守護霊さまと…

 

私は自分を守ってくれる存在のことを感じることはある。(悪霊は感じない)彼らは決して甘やかさない。かなり厳しいけど、諦めてしまう、その寸前の手助けに愛情を感じることが多い。

 

魂の修行を余儀なくされている。だから厳しくとも感謝ができる存在ではある(^_^;)

 

…多分、守護霊というのはこういう存在なんでしょうね。

 

 

 

 

記憶の原点は祖母の話

 


明治30年生まれの祖母は、母親が早くに亡くなって、父親が再婚するために、邪魔にならないように、とわずか8歳で妹と一緒に奉公に出され(ひどい話ですよね)、小学校にも1、2年しか通っていませんでした。ですが自分で努力したのだと思います。新聞も読みましたし、幼い私にいつも絵本を読んでくれたのも祖母でした。

 

その祖母がよく言っていたことがあります。「おてんとさんが見たはるから…」と。ほとんど満足な教育を受けていない祖母ですが、この言葉は詳しい説明不要で私の心の中にすーっと入ってきて、いまでも多大な影響を与えていることに気付きました。

 

お天道様が見てる

 

読み方:おてんとうさまがみてる・おてんとさまがみてる
別表記:お天道様が見ている

人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く語。お天道様がそのまま太陽を意味することもあれば、神や仏といったものの象徴として扱われることもある。
                

                ー実用日本語表現辞典ー


 

宗教なのか道徳なのか?

 


最近では死語に近いのかな?

 

「お天道さま」は神仏のようでもあり、太陽そのもの、宇宙そのものでもあり、人間の良心や倫理、道徳のようでもあります。

 

たとえ人が見ていなくても悪いことをしてはいけない。それは当然ですが、もっと細かなあれこれについても常に自分の良心と相談して決める上でかなりの指針みたいなものになっていたような気がします。

 

誰も見ていないけど、でもブレーキをかけるのも人助けのために勇気を出すのにもこの「おてんとさん」の存在って大きな位置を占めていた気がします。

 

誰にも知られなくても人を傷つけたり、泣かせることはしない、というのは当然ですが、誰にも褒められなくてもいいと思ったことをやる、というのもそういう感じかな?と思います。

 

生まれつきのマイナス要素とか、後天的なマイナス要素とか、少しでもゼロに、もしくはプラスの方向に近づけるために努力する。

 

アスリートみたいに人の眼に見える結果じゃないし、努力していることも人には気付かれない、そういうとても地味なことなんだけど、でも誰も知らなくても、自分自身と「おてんとさん」は知っているからそれでいいと思ってまた頑張れるんですよね (^_^;) 私は時々自分で自分を褒めてますが… (^_^;)

 

その正体はよくわからないけど、心の中にそういうものがあるのって、結構大事なことじゃないかな?と思います。そういうことを教えてくれたおばあちゃん、ありがとう (^_^;) 昔の人はそういう素朴な指針を持っていたのかもしれません。

 

おてんとさんじゃなくても満月も私は苦手ですが。どこまでもついて来る。ずーっと見られてる月の視線。人類が月面に降りても月はやっぱりどこか怖いです(>_<)

 

 

 

因果応報みたいなものもあるかな

 


おてんとさんが見てるのに、見てないつもりで悪いことをすれば相応の報いも返ってくる、ということも暗にありそうな気がするな。この辺は仏教的??「おてんとさん」=「天」でもありますよね。

 

「天に徳を積む」とか。これはいいことが自分ではなくても、子孫に戻ってくるかもしれないから、という感じです。これもなんとなく理解している気がします。アニミズムなのかなあ…?

 

うちの母は「全然知らん人でも親切にしていおいたら、いつかあんたらが困った時に親切にしてくれはる人があるかもしれんし…」と言いながら他人の世話を焼いていましたが、それもいつも見てたから自然にそう思えるようになりました。

 

別に自分自身に見返りはなくていいんだよね。はるか未来で関わりがあった人たちや自分の子孫とかに巡り巡っていくのならそれでいいと思っています。これを誰が知っていて見ていてくれるかというとやっぱり「天」なんですよ。

 

うーん…。この曖昧なものはなんだろう?と思うんですが、なにしろもう感覚的に子供の頃から自分の中にあるから…。

 

この感覚を持っていると絶対に悪いことは出来ないんですよ。自分の中に「天の視点」みたいなのものがあるから…。良心が痛むのはもちろんですし、まず自分が許せないです。

 

既成のどの宗教ともたぶん違うと思いますが、道徳的なものも含めた「なにか」のような気がします。

 

 

 

…すいません。結論が出ませんでした〜(>_<)

 

 

 

相性の問題かも 

 

そういえば私はかなり前から、パワーストーンのアクセサリ(特にブレスレット)やパワースポットと言われる場所の意義を感じなくなりました。

 

ブレスレットは特にクルスドミナンスな私には邪魔でしようがない存在なんですが、石のひとつふたつ、綺麗なものを机に置いておいてもいいかな?と思っていたけど、やっぱりこれも邪魔でしようがない。

 

別になくても問題ないよね、という結論に至りました。少なくとも石のおかげでなにかいいことがあったとはとても思えないですし…。

 

パワースポットは人それぞれだと感じています。その人の相性がいい場所。

 

社寺仏閣でなくても、自分の部屋だったり、お気に入りの公園とかでも不思議じゃないですよね。

 

私の場合、相性がいい場所は伏見稲荷大社の他には厳島神社とか鞍馬寺あたりです。それと居心地がいい、このMacの前と、自分のベッドもそうかな。イメージが溢れてくるのが私にとってのパワースポット。別に瞑想する必要もありません。きっとそれ以上に相性がいい場所ってないと思っています(^_^;)

 

 

 

 

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初期のインディゴチルドレンはつい見る目が厳しくなる

 

かなり以前からそう思っていたんですが、私はごく初期のインディゴチルドレンのカテゴリに収まるような感じですね。要するに価値観が違うのと、ユニークであることとか、それゆえに孤独で生き辛いとか。まあ、理由はなんでもいいんですが…。

 

たまたま見つけたこのブログの記事の中に描かれているインディゴチルドレンの特徴に見事に全部あてはまりますね… (ーー;) 

 

ameblo.jp

 

【インディゴチルドレンの特徴(パイオニアだけに限らず)】

 

嘘をすばやく見抜く

自分には誤魔化しが通用しない

根拠はなくても、何か「知っている」、「分かってる」という感覚がある

人生に対して、独自の哲学がある

全てを見透かすような真っ直ぐな目をしている

一般的に我が強いと思われるような言動をする

人生の先が見えているような発言や行動をする

戦士のように気性が激しく気が強い反面、限りなく優しく思いやりがある、という二面性がある

チャレンジ精神旺盛

飽きっぽい

直観力や共感力が極めて高い

人やエネルギーの影響を受けやすい

尊厳を漂わせながらも、無邪気な子供のような面もある

嘘やたてまえが嫌い

裏表などの複雑な人間の心理が苦手

誰にも理解されない「孤独感」を抱えている

霊的に敏感

現実感が乏しい

夢や理想が大きい

人から理解されにくい(変わり者に思われる)

疲れやすく、虚弱体質になりやすい

人間関係で問題を起こしやすい

ルールに従うことが苦手

自由な発想と表現力、独自の世界観を持っている

自分には使命があると感じている

使命を薄々感じているが、それが何か分からず、焦って迷走してるインディゴたちも多くいます

深いレベルで悲しみや怒りを感じている

芸術的センスが高く、創造力がある

 

 

 

特に「知っている」「わかっている」という感じは歳を減るごとに強くなります。読んだ本に描かれていること、人との出会いを通じて思うこと、なんだかかなりの既視感があるのです。

 

まあ、別にそうであってもなかっても、あんまり関係はないですが。

 

でもこの人生、相当厳しいものがあるので、どうしてここまで厳しいのを選んだか?という気がなきにしもあらず… (ーー;)

 

それゆえに若い世代の人たちに対して、「あんた達、まだまだ甘いわよ」とうっかり言いそうになって、気を引き締めております。でもホントに甘いと感じることは多々あり過ぎるけど…。

 

この人生に使命があるのなら、どこまでも孤独だと認めざるを得ませんね… (ーー;)

 

 

 

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ささやかな願いと祈り

 

直感は予知してたのかな?

 

ちょうどバレンタインの日に、ネットのお知り合いであるMさんの奥様のおめでたのニュースを知りました。

 

これはお祝いのメッセージを送らないとなあ、とすぐに思ったんですが、なぜだか「おめでたいこと」だという気持ちがどうしても湧いてこなくて、これはどういうことかと、かなり悩みました。

 

上のお子さんたちの時にはまったくそういうことなかったんですよね。なのに今回に限ってどうしてお祝いが言えないんだろう?たとえコメントでもいいから一言なにか書き込めばいいのに…。

 

それなのに不思議な心の抵抗があって、結局おめでとうのメッセージは伝えられないままでした。

 

そうしましたら、今度は昨夜になって悲報が入ってきました。奥様が流産されたということでした。

 

もしかして、これのせい?だからためらったのかなあ?自分でもわかりません。哀しいことですが、母体がお元気らしいのがなによりだと思います。先に希望を持っていただきたいと願っております (^_^;)

 

なぜかわからないけど、こういうことってありますよね。私の場合はほとんど「直感」になりますが、予知というほど大げさでもなんでもないけど、あとになってから、「ああ、これだったのか」と納得するパターン。

 

こういうものが上手く働けば、あるいは大切な人の危機を避けられたりすることもあるかもしれないなあ、と思いました。

 

 

願いと祈りと…

 

私はよく東日本大震災関連の実話エピソードを集めた本を読みます。

家族の絆とか愛情とか、もう本当に泣けるばかりですが、そういう時に危難に際しての直感の重要性みたいなものを感じます。

 

呼び覚まされる 霊性の震災学

呼び覚まされる 霊性の震災学

 

 

 

魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

 

 

 

震災後の不思議な話 三陸の怪談

震災後の不思議な話 三陸の怪談

 

 

大自然が相手の災害ですが、ささやかに家族や身内を守るために、祈りが有効になることだってあるかもしれないと思っています。

 

で、去年の今ごろに私が描いたのがこの龍の絵です。

富士山の女神(コノハナサクヤヒメだと思います)に山の鎮めをお願いしました。

 

↓ 詳細はこちらにありますが。

 

聖なるもの16 祈り

 

私の甥や姪は富士山の近くに住んでいるので、噴火とか地震とかあって欲しくないし、もっと広い意味での「お守り」のつもりで描きました。

 

自室にも母の個室にも飾ってありますし、姪の所にも送りました。気に入ってくださたったかたはスマホの壁紙でも、ポストカードでもなんでもお好きに加工して身近で愛用してくださると嬉しいです (^_^;)

 

宗教関係ありません。私の願いと祈りだけ入っています。

 

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