我が家は代々、子供が生まれて、名前をつける時には、前もって候補をいくつか
絞ってから、姓名判断してもらってから、決めることになっております。
両親や私と弟、それに甥や姪もそうやって判断してもらっています。
どうしてわざわざ姓名判断するのかというと、人生でなにか困難があった時
「名前が悪いせいだ。だから不幸だ」なんて「つまらないことで悩まなくて
すむように」とは母の談。
確かに「いい名前」とわかっているだけで、悩みはひとつ減るかもしれないなあ、
と思いますし、自分の名前、ひいては人生を好きになれますね。
両親からの最初の贈り物、心遣いがありがたいです (^_^)
さっきYahoo!からのメールを見ていたら「無料姓名判断」というのがあったので、
ちょっとやってみました。あくまでも無料のだけね (^_^;)
もともと「いい名前」とされているだけに、悪い結果は出ませんね。なるほど、
そのとおりでございます、という感じ。
これだけわかったら確認が出来た意味で私には充分なんですね。
あとの未来は自分で作って行きます。
「楽観的とは違う。大局を見ている」というのも「なるほどなあ」と思って
しまいました。
確かに私は楽観的というのではないと思います。
物差しの目盛りを長くしたり短くしたりする視点の変化の柔軟性はあるかもしれないなあ、と思います。
うん、…名前ってお守りのようでもあるよね、と感じます。