モニタの前で瞑想すること
私はMacを立ち上げると、毎回まずメーラーとブラウザを起動して、真っ先にメールチェック、それからアンケートやブログなどのチェックをすることがほとんどで、ほとんどの時間はメーラーとブラウザは繋ぎっ放しになっています。新着メールがあると通知してくれるのですが、これがわりとよく「気がつかない状態」になっていて、ふと見るとメールが数十通溜まっていたりすることがあります。
そういうのは大抵、左手にペンを握って作業をしている時です。お絵描きもですが、フォトレタッチとか画像関係に作業で左手を使う時はよく集中モードになります。
自分ではこれは瞑想に近いんじゃないかと感じています。あと読書に集中している時もそうだなあ…。あんまり雑念が入らない状態の時ですね。
自分の性質を考えるとうかつに本当の瞑想をするのが怖いのです。そんなにメンタル弱いと思いませんが、特に精神疾患のある人は、あっちに行っちゃって帰ってこれなくなる危険があると思っていますし…。そういうことをしなくても危険のない方法である種の境地に至れるのが創作じゃないかと思っています。
そもそもイメージなりアイデアなりが降りてこないとなにも出来ませんから… (ーー;) ペンタブのペンを握るというのが入り口かもしれないとふと思いました (^_^;)
こういうことって人それぞれあるんだと思います。無心に身体を動かしている時とか、クリエイティブな作業に夢中になっている時とか。
あとに快いわずかな疲労感とすっきりした気分が残るのがいいですね(^^)
ある種のマインドフルネス?
「地に足をつける」=「グラウンディング」って言うんですか。
意識しなくても目の前の生活をひとつひとつしっかりこなしていくのがグラウンディングそのものだよなあ、と思います。
二十歳前後の頃はよく魂と肉体が距離があって、ふらーっと意識が離れそうな時があったんですが、責任を持って生活しているとそういうことには二度とならないと感じています。
意識した瞑想が必要ないと思うのも、それと同じかな。
自分が生きてきて見つけてきたことが一番確かだと信じられるからかも。
精神の奥にもっとなにか本質的なものを感じるんですが、そういうのが魂なのかもしれませんね。
ちょっとやそっとの絶望じゃ折れないの。
…いや、折れそうになっても柳の枝のように大きくしなって時間をかけて戻る。…そういう強さが身につくのかもしれません。