ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

パパ、ありがとう

 

2006年の1月から2009年の10月まで、父の在宅介護をしておりました。

 

脳梗塞がもとで半身付随、寝たきりで身障者1級、さらには胃ろう、という父でしたが、介護と医療のプロの方々の手を借りてなんとか在宅介護をやり遂げました。

 

父はずっと死ぬのを怖がっていた人で、元気なときからよく丹波哲郎さんや江原さんの本などを読んでいました。自分なりに死後の世界を知りたいと思っていたと思います。

 

そういう父なので、胃ろうを造設するときも迷いませんでした。明確な介護の目的ができたので、私にはやり甲斐がありました。大変でしたけどね…。

 

もう8年前になりますが、父の死の前後で私が感じたこと、思ったことなどを書き留めてあったので、ここに改めて転載します。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下、2009/10/19の記事

 

父に対しては精一杯のことをしてあげられたので、「ああすればよかった」という後悔は全然ありませんでした。その意味では本当に私は幸せな子供だと思います。

 

 

9月末に退院した時点で「遠からずまた胸水が溜まることがあると思います」と言われておりましたので、すこしずつ覚悟のようなものをしていたかもしれませんし、素人介護の限界を感じていたのも事実ですが、やはり家族の心境としては一日でも長く一緒にいたかったです。

 

10月7日に先生が採血して帰られましたが、その時点で父の心不全の状況はかなり悪く、普通は138までという標準値がその10倍の数値になっていたそうです。長年の不整脈などの影響で、のちに聞いたことによりますと、父の心臓はすでにぼろぼろのようだったらしいです。そもそも脳梗塞の原因が心房細動により出来た血栓が脳に詰まったものですし。

 

酸素吸入を受けて、いくらか呼吸が楽になったような父でしたが、13日頃から徐々に尿の量が減り始めていました。それ以前に緩下剤を飲ませてもまるでお通じがないなあ、という状態がしばらく続いていましたし。13日の午後以降、尿取りパッドで確認出来る尿量がないため、先生が導尿チューブを入れて、尿量の確認をすることになりました。が、14日は500ccにも満たず、15日は100cc前後という極度に低い数値だったため、腎臓がかなり弱っているということは容易に推測出来ました。

 

並行して血圧が低下傾向にあり、脈拍がかなり少なくなりつつありました。そのために時間外に看護師さんに何度も駆けつけてもらったり、先生にも往診してもらったり、ケアマネEさんは3日連続で詰めていてくださいました。「いいかげんな介護の家族だったら、こんなに私も真剣にはなりません。ご家族が頑張っているから、私も最大のお手伝いをしたいと思ってます」とEさん。Eさんには本当に親身に相談にのっていただきましたし、本当に悩みも愚痴もなにもかも打ち明けていました。母は「もう家族と同じだと思ってる」と言いますし。

 

15日の早朝、血圧がかなり落ちました。話しかけても反応がなく、体温も低いようです。往診に来られた先生の顔もかなり深刻です。実はこの時、父は一度三途の川を渡りかけて戻って来たようです。私も半分くらいは覚悟を決めていましたので、冷たい父の頬にぴったりと自分の頬をくっつけて、手を握って耳元で話しかけていました。もちろん涙がぼろぼろです。母も弟も一旦は父に別れを言う覚悟でいたようです。

 

けれども父の生命力というか、精神力は誰もが感嘆されるほど強かったようで、私がぴったりくっついているうちに、体温も血圧も戻ってきたんですよね(^^;) お昼頃には何度かくしゃみも出ましたし、しっかりと眼を覚ましてもいましたし、「これはもしかするとまた回復してくれるのかも…」とその日はみなで喜んだんですが…。

 

ちょうど10月13日が55回目の結婚記念日だったから、母が「いままでありがとう」などど言ったため、看護師さんに怒られていました(^^;)「お母さん、そういう、いまにも死にそうな相手に言うセリフを言うたらあかん!そういう時は『60年目まで頑張ろうね』と言わないと…」と。

 

ケアマネさんにはすでに父のこの時の状態が驚異だったらしいです。すでに脈拍は30台に落ちていましたし、その脈ではっきりと意識があるのが信じられないことだったようです。しばしば吐き気が襲ってきて、痰だけではなく、濃い色の胆汁が出ます。とても苦しそうです。

 

看護師さんでもあるケアマネEさんの話で「尿が止まってしまうと、大体24時間以内」という深刻な状況にあることを示唆されました。母と弟、私と3人が交替で夜も見守りつる日が3晩続きます。さすがにそれだけ睡眠不足ですと頭も朦朧としてきます。けれども夜中に覗いても父は大抵しっかりと眼を開けていました。寝たきりになってからの父の目はいつも綺麗に澄んでいましたが、このあたりからさらに透明感を増していきます。

 

体調が悪いとか、酸素濃度が低いとか、そういう時には必ず上方固定していた眼ですが、この最期の2日間はまったくそういことにはならず、しっかりした知性の眼でした。

 

14日と15日の両日に父を訪ねてくれた人たちは看護師さんが6人、入浴サービスの人たちは会社ぐるみで入れ替わり立ち替わり仕事の合間に尋ねてくれて、父を励ましてくれます。事務所の全員が来られましたので、20人近かったですね。多い時には看護師さんが4人、処置に来られてました(^^;) かかりつけの先生は超多忙の診察の合間を抜けて、一日に昼夜を問わずに5回も往診してくださいました。

 

うちの前が自転車とミニバイクで一杯になります。うちの事情を知らないご近所さんが「何事ですか?」と驚かれてたようです(^^;) こんなに多くの人に愛されていたんだなあ、と思うと素直に感動しましたし、感激もしました。ものすご~く嬉しかったんですね。「お父さんとお母さんの人徳ですね」とも言われましたが、確かにそうだな、と思いました。

 

 

普通、父のような病人ですとそばで話していることが理解出来ないばかりか、意識がないのが普通らしいんですが、どうも父にはすべて聞こえて、すべて理解出来ているらしい、という確信が生まれました。父のまわりで関わる人たちや親戚たちの話の内容で、自分の死期が近づいていることをはっきり理解していたようです。そばで看ているとそういう話の内容で、父がパニックに陥り、それで余計に呼吸も乱れていることがわかってきました。「パパ、頭がクリアー?」と尋ねると「うん」と微かな返事。

 

なにしろ死ぬのが怖い人ですから、そういう風に怖がらせると余計に可哀想ですしね~。15日の夜から16日の朝にかけて、父を落ち着かせたい、と思ってそばで手を握っていた私の口から「魂の眼が開いたね」という言葉がするっと出ました。父と対峙していると自分が言っていることが真実だ、という不思議な確信がどんどん強くなってきます。特定の宗教も、なにも関係がない美しい世界のことが私の頭にもクリアに見えてきまして、それをそのまま伝えればいいんだな、と思いました。

 

夜中にお腹が微かに鳴る音が聞こえました。空腹のような音です。父が微かな声で「ごはん…」と言いました。とことん生きようとしていたんだと思います。「先生に許可をもらってからにしようね。吐き気があると苦しいでしょ?」「うん…」すでに胆汁が出るようになってからはPEGにはなにも入れていませんでした。苦しいだけだと言われていましたので。

 

この夜、父はずっと眼を開けていました。閉じてそのまま眠ってしまうのが怖かったんだと思います。

 

「大丈夫。怖くないよ。私がついてるでしょ。ずっとそばにいてあげる。怖いことも心配なこともなにもないよ。私らはずっと一緒だよ。またすぐに帰って来れるからね。大丈夫。静かにゆっくりと息をして。リラックス…。リラックス。だいじょうぶ…大丈夫…。」…というような語りをずっと続けていますと、父はしっかりと視線を合わせて私の話を聞いてくれています。

 

母が「恭子がいいの?」と聞くと「うん…」という微かな返事…。本当に真剣に聞いてくれていたようです。

 

それを一晩中続けたかったんですが、哀しいかな、私の寝不足も限界にきてまして、母に交替すると母は父の手を握りつつ、ずっと静かな子守歌を歌っていました。明け方もずっとそうやって父を落ち着かせていて、弟にタッチして10分後、「呼吸が止まった!」という弟の声で母と私は飛び起きます。

 

 

1分ほどの呼吸停止。しばし見守ると再度呼吸再開。でも確かにわかりました。もうじきだな、ということが。弟が先生に電話して先生もすぐに駆けつけてくださいました。もうその時は数時間前までは強かった右手の力もすっかりなくなり、口が動くだけの息にならない呼吸が何度かあります。「下顎呼吸やね」と先生。「多分もう1,2回」。母と私が父の両頬にくっついて、もう出てくる言葉は「ありがとう」しかないんですね。父は母と私のことが心配で、ただただ精神力のみで頑張ってくれていたんだと思います。「私、これからも頑張るから!心配しないで!」と言った他はひたすらに「ありがとう」ばかり。世話させてもらえて嬉しかったよ、幸せだったよ。いい人にいっぱい会えたよ。いままでありがとう。ありがとう…。

 

先生の言葉のとおりに父の呼吸は静かに止まり、その後再開しませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばし後に最初からずっとお世話になっていて、父が最も信頼していた看護師のAさんが同僚のSさんと二人でエンジェルケアに来てくださいまして、父もすっかり綺麗にしていただきました。お気に入りの大島の着物を着せてもらって、最期までずっと右手に握っていたくまさんのミニぐるみとお数珠を手に持って。

 

伯父や叔父夫婦、Eさんが来られて、葬儀の次第と役所関係の緒手続の相談になります。寝不足でぼーっとしている母と私に代わって、葬儀の詳細は叔父が主に細かく手配してくれまして、Eさんは私と区役所に。ぼーっとしている私を横に座らせておいて、とり合えず必要な手続き全部をやっていただきました。もう、Eさんの家の方向に足を向けて眠れないくらいにお世話になりました。

 

帰りのタクシーを待つあいだ、私がEさんに「ふと気がついたら今朝は私、精神安定剤とか、救心とかも飲んでなかったけど、不思議と全然動揺していないみたいです」と話すと、「やり遂げた、という気持ちの方が大きかったんじゃないですか」と言われました。きっとそうですね。生きているあいだに父にしてあげたかったことは全部出来たと思います。

 

帰宅しますと、葬儀社の担当の方が父のベッドまわりを整えていてくれまして、「いいお顔をされてますね」と言われます。エンジェルケアの直後には眼も口も閉じさせていただけたはずなんですが、気がつくと父の左目と口がうっすらと開いています。「このお顔はお釈迦様が入滅された時のお顔を同じだそうです。大変の徳の高い仏様ですね」と言われまして、それを聞いて、ああ、よかった、父は本当にいい所に行けたんだ…という安堵の涙が流れました。

 

父は私のスピリチュアルな迷いを断ち切るように、非常にしっかりした小さな奇跡のようなものをたくさん残してくれました。その意味でも私の充足感は大きいと思います。きっと寂しさはあとでじわじわくるんでしょうけれど…。

 

ここまでのことで私は充分に満足しましたので、お葬式はおまけだと思っていました。その「おまけ」でもまたいろいろなことがあったんですが、それはまた後日…。

 

 

 

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