母が亡くなって半年。3年間通った特養に行かなくなって半年。
ちょっと寂しい。もう部外者だから行けないけど、時々ふっと
あの場所にまだ母がいても変じゃない気分になる。
もうとっくにこの時空間にはいないんだけどね。
この感覚は不思議だなあ…。
大切に思う人ほど亡き人がその人の夢に出てこない。
なぜなら後を追われると困るから。…という説はなんだか説得力があるなあ。
うちの両親もいっこうに出てきてくれません (^_^;)
ここで頑張れと言われてるみたいです (^_^;)
死にまつわる話を確認しながら語るのが、きっと私なりの自分のための
グリーフケアだと思っている。
でも本当は一番味方なのは歳月なのよね。歳月だけが哀しみを癒す。
母の場合も、死後しばらくは家の中に濃厚な気配が残っていたけど
徐々に薄れていった。
そしていまはいないことに慣れて、父と二人でいることに安堵している。
真面目な供養は出来てないけどごめんね。
そういうことは理解して納得していてくれる人たちだから
たぶん気にしてない確信があるのです (^_^;)
我が家はこういうテーマ、生と死や病気の意味やかなり哲学的な会話を
両親としていた気がする。
それだけでも自分がいかに恵まれているか実感する。
だから彼らが言いそうなことは私にはわかるのだ。
今どこにいるかもなんとなくわかる気がする。
不思議な縁のある親子だと思う。
いかん、まだやはり「オレンジ」で泣ける。これはもう一生続くかもしれない。
けどそれが幸せだと思える。