私の「人生の伴侶」は人ではありません。
それは「絵」です。特別な才能はありません。
ただ、生まれてから今までずっとかけがえのないものとして私のそばにありました。
幼稚園に入った時、他の女の子たちが「お嫁さん」などの絵を描いているのを
見て、自分には結婚願望が全くないことに気づきました。
幼稚園児を侮ってはいけません。同じ年の子の中に紛れると自分の特異性が
際立ちます。なぜかわからないけど、私はみんなと違う、と悟ったのは
幼稚園に入った時でした。
母の特養を決める時「毎日歩いて通える特養」と「病院グループだから病院
との連携がいい特養」と私は後者を選びました。タクシーでないと通えないので、
面会は週に一度になったけど、とてもマメなご家族と言われました。
だからせめて部屋の壁を飾りました。喜んでくれるように。
美しくなるように、私の代わりに。
私の絵をたくさん飾ったので、母は喜んでくれたと思います。
その人の人生の総括は最晩年に出てくると思っています。
認知症だって、それ以前のその人の性格が症状を作る気がします。
自分の老後には何も望みません。誰も来なくても構いません。
ただ一日でも長く自分のことができたらそれでいい。
絵が描けなくなったらどのみち生きている甲斐がありませんしね。
私の望みは多分それだけ。そんな時まで絵は私の伴侶であり続けるでしょう。
お金には変えたくない。
それでも人生の選択にはもっとも大切なものとして選んできました。
だから今までずっと私のそばにあります。
この愛情のようなものがどこからくるのか自分でもよくわかりません。
でもきっとこれゆえに私はお金に執着がありません。まるでない。
その大切な「絵」を私の一部と認識し、私と共に大切にしてくれた家族に
感謝しています。
人生の伴侶が人じゃなくても全然寂しいとも思ったことがないんですよ。
困ったな(^_^;)