ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

 

魂の経験値

 

 

このかたは普段から神仏画などのお仕事をされていて、過去世の記憶も部分的にお持ちだそうです。その過去世では犯罪を犯した悪人だったとおっしゃっています。人の生命を奪う組織的グループのリーダー的存在だったとか。

 

生まれ変わった現世ではその贖罪のために神仏とご縁が深い立場にいらっしゃるのですね。現世で人を救う仕事をされている方々の中には、過去世での贖罪のためにそういう仕事をされている方もいらっしゃると知りました。

 

そういうのも知っているから誰かに再度の罪を犯させたくないと思います。たとえばこういう安楽死についても。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

 

 

 

 

こういう感覚がすごく私に近かったのですね。

 

過去世を知るにはある種の覚悟も必要で、過去は修正不可能だということや、そのために現世があって、どちらの方向でも自分が選んで前に進んでいけるのは現世の「いま現在」しかない。それによって未来は作られていくので。

 

過去は取り戻せませんから。過去を知ってもそれに拘らずに生きていければいいけど、いつまでも拘ってもどうしようもないから、こだわるなら知らなくてもいいかなあ、と思います。


特殊な場合を除けば、映画を見ているのと同じですし、感情の追体験は出来てもストーリーその他の修正は不可能なので、それなら好みのものは自分で作れ、って感じですよね(^_^;) ちょっと二次創作的な(^_^;)

 

「魂の経験値」というのはいいなあ、と思います(*^^) それは確かに存在していると思います。私自身、今の人生の中でも常に後悔するような選択はしたくないな、と思って、いつも真剣に考えて選択してきたので、そういうのが経験値なのかもしれません(^_^;)

 

過去に罪を犯したこともあるかもしれないけど、そうだったとしても、いまの人生でその罪滅ぼしも可能なので、知っても知らなくてもそれは変わらないからどっちでもいいです(^^;) 自分の過去生にはあんまり興味がないですね。


経験値はしっかりと自分の中にあります(^^)



 

 

これは幸徳さんの作品ではありません。

お寺などにお納めする女神さまの絵とか龍神様とか、いろいろ描かれていて、本のイラストなども描かれているようですが。

 

 

 

生者と死者が行き交う夏ーお盆

 

世の中、いろんあご縁がありますが、これは身体では出会ったことがなく、でもそんなに遠くはない血縁のお話。

 

 

 

私の伯父(父の兄)は父とはかなり歳が離れていて、ニューギニアで戦死しました。戦後に何度も遺骨収集団が現地にいらしたんですが伯父の遺骨は見つかりませんでした。

 

あのあたりは状況的に戦死というよりは餓死の可能性もありますし。

 

遺骨の替わりにへその緒とニューギニアの海岸の砂を埋葬した、と祖母が言っていました。

 

でも父のお迎えにきたのは伯父でした。父が空中を見つめて「にいちゃん」と呼ぶ人は歳の離れた兄である伯父しかいませんから。

 

私が生まれる前に亡くなっているので、私も写真でしか顔を知りません。20歳前後の戦死だと思います。

 

 

2019年にいまの団地に引っ越しました。その時に場所を取る仏壇は処分していただいて、非常にコンパクトな祭壇に両親の骨のかけらや過去帳も入れました。

 

仏壇の引き出しに入っていた砂はきっとニューギニアのものだと思いました。細かく、ビニール袋に密封されていました。

 

どうしたものか?と考えていた時に強い海の匂いがしました。もう70年も昔の砂で密封されているのに。 海水浴で海のそばに行くとすぐにわかる潮の匂いです。

 

でもこれは伯父さんだな、とわかりました。一緒に連れて行って欲しいという意志だと思いました。なぜかしらこういうことはほぼ直感でわかってしまうんです。

 

「わかりました。一緒にいきましょうね」と語りかけてしばらく砂を置いていたら強い海の匂いは20分ほど続きました。

 

 

で、いまはこの家の祭壇に伯父さんの砂もいっしょです。あれから海の匂いがすることもないので、ここで満足してもらえたんだと思っています。

 

若くして亡くなった伯父は忘れられたくなかったんだろうな、と思っています。

 

だから私はどうしても「死んだらおしまい」とは思えないのです。生まれる前のことも、死んだのちの思いもありますね。この類いのことはたくさん経験しているので、あの世との距離が近いと感じています。

 

遺骨以外でコンタクト可能とも思いませんでしたが、でも砂に宿る想いもあるんだろうな。現実で出会ったことがない人と、それでも想いがかなえられてよかったです(^^;) 供養は気持ち。お金じゃなくて。 あ、そういえば8月ですね。想い出したのはそのせいかも(^^;)

 

 

ちなみに伯父さん、靖国にはいたくなかったみたいです(^^;)

 

 

 

 

 

 

キャラクターは自分の分身か?

 

分身といってもアバターではありません。外見ではなくて、内面の自分を反映している気がします。イマジナリー・フレンド説でもいけるかな?

 

もともと私は頭で組み立てて絵や作品を作れる人間ではなくて、普通にお絵描きするのでも、天から降りてくるMuseのイメージをキャッチしないと描けない人間なんですね。目の前のモデルを正確に描写出来るタイプでもありません。相貌失認があるから似顔絵もうまく描けません。

 

本当にインスピレーションか画像として降りてくるイメージがないとお手上げ状態なんですね。

 

 

 

 

そういう私ですが、20代のころは地味に漫画を描いておりました。仕事して帰宅するとずっと机に向かっていて。1冊の個人誌を出すのに2年も3年もかかりましたが、非常に楽しい時間でした。人生でもっとも充実していたかもしれません。

 

描きたいお話は中学生のころからありました。なぜか古代日本が舞台。どちらかといえば日本書紀よりも古事記よりかな?と思えるヤマトタケルの物語でした。でも性格は記紀のどちらでもなかったです。

 

どちらかと言えばまつろわぬ人々に共感し、真摯になるタイプ。だから立場的にはどうしても悲劇にならざるを得ないのですが、ずるく立ち回れるタイプでもなくて、彼は結果がどうあれ「自分が選んだことだから後悔はしない」と言っていて、あれ?もしかしたらそれって私の気持ちじゃないか?と思いました。

 

ざっと中学生の自分を振り返ったら本当にそういうことを思っていて、しかもそれが生涯のテーマのひとつになると感じていました。

 

事実その認識はいまでもずっと生きています。後悔がないように生きること。

 

 

 

もう一つ。子供時代の話も描いていて、不吉な子供だと捨てられたのを倭媛がこっそり助けて養親に託します。そこで愛情一杯に強く優しく育てられて、生存を知られた朝廷に連れ戻されます。それが10歳の時。

 

 

 

 

マチュアの作品なので、合わせても150ページくらいですが。その原稿は阪神大震災のあとで、秋田在住の友人に預けました。もし私が死んだら形見にしてね、とお願いしてあります。

 

その原稿が手元にないので、わりと最近の絵をここに持ってきました。絵と文章による散発的な短編はサイト「星宿海 渡時船」のなかに置いてあるので、興味とお暇がある方は探してみてください。「まほろば通信」のコンテンツの中です。2005年から2006年当たり。

 

albireo-haru.sakura.ne.jp

 

 

多分、双極性障害の軽躁と集中がなければ書けなかったと思います。いまはもう息切れして駄目。よほど協力なパワーの神さまにサポートしてもらわないと……(^^;)

 

 

 

 

 

それでですね、バケネコさんに鑑定していただいた時、私の前世は倭国大乱時代、2世紀ごろの出雲で祭祀に関わっていたということでした。

 

あれ?出雲?征服された側ですよね。逆の立場か。時代は少しだけずれるけど、なんか近いものがあるなあ、と後に荻原規子さんの「白鳥異伝」(これも根幹はヤマトタケル)を読んでそういえば、あれもヤマトと出雲が重要な話になっていたなあ、と思いました。出雲の青年、菅流(すがる)がご贔屓キャラです(^^)

 

表のヤマトと裏の出雲。実は深い関係がありそうですね。面白がっている私でした(^^;)