京都のお盆は旧暦です。
母方の実家は浄土宗でしたので、子供のころは祖母と一緒に六道珍篁寺に迎え鐘を付きに行きました。鐘の音で呼ばれたご先祖の霊は槙の葉っぱに乗って帰ってくると言われています。
小野篁があの世に仕事に通ったと言う井戸もあります。
お盆の期間は大きな地獄絵図が展示されますが、それを見て「この人たち(地獄の獄卒たち)はいつ解放されるんだろう?と間が抜けたことを考えていたのが私です。
近くに幽霊の子育て飴を売る店がありました。
化野、鳥辺野など、京都には思えばあの世とこの世の境界と言われる場所はあちこちにありますね。
まあ、そういう背景も踏まえて私の守護霊さんを介して亡き両親の気持ちを尋ねてみました。
「もういちど、こちらに帰りたいと思う?」
「もういい」
……そういうと思ったわ。うちの親も結構身体があることで苦労してるしなあ。
蘇っても嬉しくないかもしれない。
比較的若くして思いを残して亡くなった方なら、戻ってきたいと思うかもしれませんが、
うちの親くらいの年齢で亡くなると、もうたぶんあちらの方が知り合いが多いと思います(^^;)
祖父母もいるし、友人も多くがいるし、伯父などもいるし。
たぶん人生に思い残すこともないでしょう。夫婦一緒だし。あえて言うなら私や弟や孫たちを案じるくらいだなあ。そういう人たちなのもわかっています。だから私たちがしっかり生きることが最高の供養なわけで(^^;)
そしてそういうことは特定の宗教ともほとんど関係ないことはわかっています。まあ、死後四十九日というのにちゃんと根拠があったのは意外でしたが。
ただ気持ちの問題としてお墓参りに行けたらいいなあ、とは思います。去年喜んでくれたから。
どこかで見かけたんですが、最高級のお香のいい香りというのは霊格を示すそうで、ほんまかな?でもまんざら否定も出来ないな(^^;)
私があまりぐずぐず行ってると早めに呼んでくれるかもしれませんが、まあ、それは寿命ですから。生まれた時にすでに半分あちらにひっかかっていた子供なので、そこそこ懐かしいのはどうしようもありません(^^;)
もう帰って来なくてもいい、愛する人たちが無事に生涯をおくれるように助けるくらいでいい。それが幸せと感じているみたいです(^^)
帰省するみたいに待っててもらうほうが気が楽やなあ……(^^;)