生活面の不自由
今年は本当にいつまでも体調が回復せず、いつもはあまり自分のことはお願いしないのですが、春くらいから、ささやかに神様にも改善をお願いしていました。
で、現在のろのろですが絵が描けて、活字の主に小説本が読めるようになっています。
でも身体の方がね、いつもの微熱に頭痛が伴うようになったのと、動悸もするので、相変わらずスーパーにも行けないままです。だから横になっている時間が長いですし。病院とコンビニ以外どこにも行けません。自立支援から介護保険に変わるタイミングで精神科の先生には「要支援1くらいかなあ」と言われています。
要支援1。まだ正式に判定は降りていませんが、かろうじて自分のことは出来るものの、家事などは人の手を借りないと無理、というのはそのとおりです。膝に問題があって、座る生活や動作が出来なくて、だから畳の部屋でも椅子生活しています。ここの団地はおおむねバリアフリーに近いですが、でも水周りにはちょっと段差があります。
それよりも買物に行けないのが深刻で、冷凍のお総菜などでなんとかしのいでいますが、やっぱりちょっと不自由。弟の自立支援でヘルパーさんに来ていただこうかと思案中です。
それでなにが出来るのか?
まあそんな状態なので、時々疑問に思うわけです。
私の守護霊さんには社寺にお参りに行けなくてもかまわない、とか、形式的なものは出来るかたがたにおまかせしておけばいい、とか言われるんですね。それで私はなにもなくても「ただ生きているだけでいい」と言われる……。
正直、また考えてしまいました。が、うちの守護霊さんってコンタクトを取れるようになった時からそうだったなあ、と思いました。体調などを考えると無理そうなことは要求されませんでした。
まあ、いまの世の中特にですけど、病気や障害で悩んでいる人は多く、そこにコロナが輪をかけて、もっと厳しい世の中になっていて、貧困にあえぐ人も増えていて、いろいろな意味での弱者がとても多くなっていますよね。
で、そういえば私はそもそも富裕層だけのスピリチュアルは嫌いだったなあ、と思いました。みんなが安心する必要があると思っていて、それは病気であろうが、貧困であろうが置き去りにされていいものではないと。弱者目線の大切さを示唆されるなんて、結構私らしいとも言えますが。
それを忘れないために自分も弱者の立場でること、というのはかなり納得ができます。しんどいですが。
私の昔からの姿勢はそれだったので、そちら方面からなにか出来ることがあるのかな?と思っていました。まあ具体的に出来ることはなにもないですが、コロナ関係の情報は眼が話せなくなって、なるべく信頼出来る情報を拡散しているつもりです。
あとは精神疾患関係の情報もそうですね。そんなことくらいしか出来ませんが、いまはそんな感じでいいみたいです。他にお役目可能になればもうちょっと体調がましになって出来ることが増えるかもしれません(^^;)
魂の世界は現実としっかり結びついているので、切り離して考えることは出来ません。可能な限り現実の突破口を探していくことから解決への道が始まっています。