ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

 

生者と死者が行き交う夏ーお盆

 

世の中、いろんあご縁がありますが、これは身体では出会ったことがなく、でもそんなに遠くはない血縁のお話。

 

 

 

私の伯父(父の兄)は父とはかなり歳が離れていて、ニューギニアで戦死しました。戦後に何度も遺骨収集団が現地にいらしたんですが伯父の遺骨は見つかりませんでした。

 

あのあたりは状況的に戦死というよりは餓死の可能性もありますし。

 

遺骨の替わりにへその緒とニューギニアの海岸の砂を埋葬した、と祖母が言っていました。

 

でも父のお迎えにきたのは伯父でした。父が空中を見つめて「にいちゃん」と呼ぶ人は歳の離れた兄である伯父しかいませんから。

 

私が生まれる前に亡くなっているので、私も写真でしか顔を知りません。20歳前後の戦死だと思います。

 

 

2019年にいまの団地に引っ越しました。その時に場所を取る仏壇は処分していただいて、非常にコンパクトな祭壇に両親の骨のかけらや過去帳も入れました。

 

仏壇の引き出しに入っていた砂はきっとニューギニアのものだと思いました。細かく、ビニール袋に密封されていました。

 

どうしたものか?と考えていた時に強い海の匂いがしました。もう70年も昔の砂で密封されているのに。 海水浴で海のそばに行くとすぐにわかる潮の匂いです。

 

でもこれは伯父さんだな、とわかりました。一緒に連れて行って欲しいという意志だと思いました。なぜかしらこういうことはほぼ直感でわかってしまうんです。

 

「わかりました。一緒にいきましょうね」と語りかけてしばらく砂を置いていたら強い海の匂いは20分ほど続きました。

 

 

で、いまはこの家の祭壇に伯父さんの砂もいっしょです。あれから海の匂いがすることもないので、ここで満足してもらえたんだと思っています。

 

若くして亡くなった伯父は忘れられたくなかったんだろうな、と思っています。

 

だから私はどうしても「死んだらおしまい」とは思えないのです。生まれる前のことも、死んだのちの思いもありますね。この類いのことはたくさん経験しているので、あの世との距離が近いと感じています。

 

遺骨以外でコンタクト可能とも思いませんでしたが、でも砂に宿る想いもあるんだろうな。現実で出会ったことがない人と、それでも想いがかなえられてよかったです(^^;) 供養は気持ち。お金じゃなくて。 あ、そういえば8月ですね。想い出したのはそのせいかも(^^;)

 

 

ちなみに伯父さん、靖国にはいたくなかったみたいです(^^;)