ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

 

故人とのコンタクト

 

メインブログからの部分再掲です。

スピリチュアルともそうでないとも人によって受け取り方が違うと思いますが。

 

 

これって私には全然スピリチュアルな話ではないのですが、常日ごろお絵描きしていると、意識のどこかが現実でないどこかにアクセスしているなあ、と実感することが多くて、その延長線上で感じていることです。

 

私にとってはまったく非現実的ではないんですが、人によってはそう感じる方もあるかもしれません。遠くにいる友人や家族を思うのと同じこと。ただ故人には肉体がないだけね (^_^;)

 

故人とコンタクトするのは難しくないです。特に霊感も必要ないと思います。プロの霊能者に頼らなくても生前のその人を良く知る人には自然と相手の反応が見えてくることが多いんです。自分の言葉や行動にどう反応してくれるか、それも自然と見えてくるようになります。

 

なぜかというと、特に親しい家族や友人などどとは、生前の反応が明らかに想起されるケースが多いからです。こういえばどういう答えが返ってくるかとか、そういうのって親しい相手ほど想像つきますよね。

 

心配するのがわかるから、なるべく心配かけたくないように努力する。でも必要な時にはあちらからさりげなくサポートしてくれたりします。

 

それらは愛をもとにして、思うことそのものが供養にもなっていること。 生前の延長にあります。

 

思い出すと自然と涙は出ますが、それは喪失感ゆえの悲しみではないですね。心の一段高い場所に両親がいて、肉体こそないけど「すぐそこにいる」実感が強いです。

 

だからこそ心配かけちゃいけない。必要な時は手助けしてくれるから。だからとにかく出来ることは頑張ってみる。

 

不思議なんですが、半分くらい肉体が生きながらあっちの世界にも同時存在してる感じ。

 

レイヤーだからな。意識的にここ三次元と同時に別次元にまたがって同時に存在しててもおかしくないや、と私は思うのですが。

 

この類いの話は両親の生前から、よくしていたんですよね。思えば不思議な家庭でしたけど、特定の宗教に走ることもなく、霊的会話はしていたという…。だからこういう話も日常の延長線上に当たり前に存在しています。

 

こういう話がツーカーで出来るあなたたちの娘に生まれて幸せでした。本当にどうもありがとう(^^)

 

私がバーンアウトはしたけれど、グリーフからの立ち直りが結構早かったのもそういう理由でした。宗教じゃなくても理解可能なことはあると思ってるし、それは芸術などとも深く結びついています。

 

これは私の個人的な感性なので、他の人に押し付けるつもりはさらさらありません。でもこれが介護や看取りやグリーフの時を悲嘆に終わらせないために大変に役立ったのは事実です。

 

 


今年もお世話になりました。どうぞ来年もよろしくお願い致します (^_^)

 

 

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故人からのメッセージ

 

相続登記なるもの

 

この年末に私はうろうろするはめになりました。

 

この築54年の古家の名義が2009年に亡くなった父のままになっていました。
別にずっとここに住むならそのままでもいいのですが、木造の家は老朽化で不具合がいろいろ出てきます。こまごま修理していても追いつかないくらいです(>_<)

 

ですので、想定外の金額の修理などが必要になった時、公営住宅引っ越す方法もあるのですが、そのためには相続登記をして、名義を変更しておかないと駄目なんですね。これがかなり大変で。

 

うつの最中はまったくこの話が頭に入らず、もう無理かなあ、と諦めかけていました。

 

でもちょっと気になることがあったので。

 

このまえの数日、夜になると消して寝ている仏壇の照明が朝になると勝手についているんですよね。もちろん誰も(私以外は)ここには入りません。でも朝につけようとすると扉は閉まったままでついてるから、両親からのメッセージがあるのかと気にしていました。夢も見ないから判断が難しくてできない。悩むけど。対人関係か不動産かもっと他のことか?もどかしいなあ。

 

もしくは電磁波とか電波の関係?地震の前触れとかだったら怖いですが。(オカルトは怖くない。地震の方が怖い)

 

仏壇だけの現象ですが、もっとわかりやすいサインをください( ; ; )…とか言ってたら、「もしかしてお父様ではないですか?」とスピリチュアルに詳しい方からのご意見があって。「やっぱりそう思えます?私もそうじゃないかと思ってたけど」「早く片付けろ、という意味かも (^_^;)」

 

でもやはり両親が気にしているのならこの家のことかもしれないと思いました。

 

だから司法書士さんの事務所に電話しました。そうしたら、プロに丸投げすると12~15万くらいかかります、と言われて。急ぎなら仕方がないけど、急ぎでないことでそんなにお金を使うのは嫌だなあ、と思って、ネットで調べておいた戸籍謄本などなど、区役所で相談にのってもらって揃えましたが、でも弟の印鑑証明がまだだし、他にもきっと足りないものがありそう。

 

で、そのまま法務局に行って、相談の申し込みをしてきました。「ややこしいですよ」とちょっと脅かされましたが、28日の朝の予約を取ってきました。一回や二回では終わらないと思う。

 


全部で何回かかるか?


必要なものを揃えて、昨日昨日は午前4時前に起きて、出掛ける準備して、8時過ぎに家を出て、区役所→法務局→区役所とうろうろしました。が、親切な担当さんのおかげで、次回には提出可能になるんじゃないかと思います。お正月明けですけどね。

 

確かにややこしい手続ではありますが、前もってネットで予習しておいたので、わりとスムーズに運んだ気がします。ただ、弟の戸籍謄本を忘れていて、再度取りに行きましたけど。あとは大体揃ってたかな。法務局で書く書類もありますが、ちゃんと説明してくださるのでよかったです。

 

税金もかかりますけど。ややこしいことは早く終わらせたい気持ち。ネットの予習も役立ちました。スムーズな展開にいろいろ手を貸してもらった感じです。

 

あとはこの年末に弟の署名、捺印をして、次回の予約日1/4に持っていったら提出出来るんじゃないかなあ…。あ、税金も払うんで固定資産税1年分くらいに相当する額を支払います。

 

役所で戸籍謄本などに支払ったのも5,000円越えてますし、あとタクシー代とか加えたら5万くらいかかってそうです。でも司法書士さんに頼むと12~15万だし、それよりも半分以下でなんとかなれば嬉しいなあ、と (^_^;)

 

1/4は行ければ自転車にしよう。今日も役所からは徒歩で帰ってきました。

 

なんというか、ものごとがスムーズに行く時ってなんとなくわかるんですよね。みなさんわかります??私はなんとなく見えないゴーサインみたいなものに気付くことが多いです。で、そのタイミングで動くといろんなことがスムーズに運んだりするし。時間に追われたけど、役所の受付を早めてもらえたり、役所を出てきたら、ちょうど空車のタクシーが止めてあって、即乗せてもらえたから充分に間に合いました。

 

あと交通関係の手配とか、やっぱり両親に助けてもらっている気はします。両親も含めて、みなさん、本当にどうもありがとうございます (^_^;) 次元が違うんだけど、なんかサポートとかヘルプとかがある感じが消えません。私の思い込みというとそれまでなんですけどね。まあ、今回はそういうタイミングだったみたい。

 

ちなみにもう、仏壇の照明は勝手にはつかなくなりました (^_^;) やっぱり正解だったんだな。

 

お天気がよければなんとか自転車で行ける距離です。お正月をまたぎますが。

 

 


両親は絶対にどこか楽しんでる (^_^;)


このごろ火の用心のために仏壇のロウソクもつかっていませんので、両親は電気を利用した気がします (^_^;)


実はねえ、うちの両親は結構こういうことを面白がる人たちなんです。だから私もわかっていて、そちらにアンテナを向けて受信出来るようにしているというか… (^_^;) ちょっと不思議なことを面白がる、あの親達にしてこの娘あり、みたいな… (^_^;)

 

生前がそうだったから、死後もきっと伝えたいと思っていることがわかるんですよね。まあ、そんなに頻繁ではありませんが、生前によく思考や行動がシンクロしていたから、その延長みたいなこのはあるかなあ、と思っています。根拠はないけど、私にはぴんとくることが多いです。一般的にはあんまりないかもしれないですが。

 

頼ったり依存しているわけじゃないけど…。でも生きていた時とあまり変わりなくわかることってあるんだよね。私じゃなくても生前親しくしていた人の言動がわかることってありますよね。それがその人の死後も続いている感じかなあ。

 

まあ年中お盆みたいなネットワークが出来ている気がします。一種の以心伝心みたいな (^_^;)

 

ちゃんと看取りが出来たからこれも可能な気がします。私の場合はね。

 

距離感が自由自在に変化出来る気がします。非表示レイヤーの向こう側。

 

ものごとがあまりにもスムーズに運ぶ時はやはり後ろから後押しされてるんだと思います。両親が苦労して手に入れた家ですが、もういいよ、仕方がない時は手放してもいいよ、と言われているような気がします。

 

ちょっとしたサイン、かなり敏感に気付くようになりました。本当はだれだって故人のメッセージを受信していると思います。でも多くの人は気のせいにしたり、錯覚とか偶然とかで片付けるから、続きがみえないんじゃないか?とも。

 

 

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はるかな片道の旅

 

japanese.engadget.com

 

1993年に出した個人誌にボイジャーのことを書いたなあ、と

ちょっといま、壮大な物思いに浸っています。

 

打ち上げの時も知ってるけど、1993年の時も「ボイジャー頑張ってるな」と

思って励まされた記憶があります。

 

それからいまもまた。

 

ボイジャーはもう振り返らない。どこまでも銀河の彼方へ片道の旅。

元気でね。私も頑張るよ (^_^;)

 

 

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