ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

伏見稲荷の神様は相性がいいとすごくご利益があるようで…

 

作ったはいいけど、放置状態になっているこのブログ、どうしようかと思っていたけど、ネタ的体験をしたので、こっそりと更新します。ご縁がある方だけがお読み下さればいいや、と思っています。

 

こういうジャンルは読者を選びますしね(^_^;)

 

 

この夏私はパニックしてました

去年も母の入院騒ぎで右往左往していましたが、今年はそれに加えて、弟の検査結果もおかしくて、一時は「ガンではないか?」疑惑まで浮上。母は相変わらず食欲不振になっていたりして、最悪の場合には二人が別の病院に入院する可能性もある~、と私はパニックしそうになっておりました。

 

そのあたりの経緯はこのブログの記事にありますが…。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

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弟の受診は22日になりましたが、おそらくそんなに心配しなくてもいい感じになるんじゃないかと思っています。

先生もそうおっしゃっていましたし。

 

母の方も食欲と血液検査の結果を見ながら、必要なら入院&点滴の手段を選んでくださると思います。自分の知識と行動と、個人的にできる範囲のことはやりました。

 


ふと、神頼みをしてみたくなった

この夏、私の方が入院したかったくらいにしんどい毎日でしたので、ここまで来ただけでも結構ラッキーな気がするんですが、ふと、自分も所属する「ココナラ」で利用者として、見つけたお方がありました。

 

「神通術師」ということです。文字どおり、人間と神様との間の意志やパワーやエネルギーの橋渡しをしてくださる仕事、と言えばいいのかなと思います。

 

お忙しそうなので、直接リンクは貼りませんが、ご縁があればたどり着ける方だと思います。

 

私は基本的に「神頼み」は滅多にしません。

 

現世を生きる人間として、できる限りの努力をして、それでも力が足りない時しか、神様にはお願いしません。だからいつもは「ありがとうございます」という感謝の気持ちだけお参りして伝えています。

 

人事を尽くさないと天命は動かないと思っているからです。

 

それでもダウンしたりすると、もっと誰かの力を借りられないかという気にはなります。そういう時にたまたま「神通術師 Aさん」の存在を知ったのでした。

 

正式なお願いの前に、何度かメッセージのやりとりをさせていただいて、「こういうことをお願いしたいのですが、可能でしょうか?」とお聞きして、なおかつ、今までにサービスを利用された方々の評判があまりによかったもので、それも参考にして…。

 

2、3日は迷っていましたが、「よし、決めた」と決意してお願いするべく、正式依頼のメールを送りました。

 

それが8月13日の夕方でした。

 

神様の仕事はとっても早いですね


お願いの内容はこんな感じでした。

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私の今生のゴールはもうかなりはっきりした形で見えています。だからお願いしたいこともかなり具体的な内容になります。無理なようでしたら、無理だとお答えいただいてもかまいません。
お力を借りられるようでしたら、よろしくお願い致します。

・事案の内容
私の今生の目標は「ささやかな人助けをしながら、死ぬまで好きな絵を描き続けること」です。そのために「創作のための心身の余裕を残しつつ、経済的な不安を解消するくらいの在宅での仕事が出来ること」が必要です。さらに安心して仕事が出来るように「特養にいる母がずっと口から食事する喜びを得ながら、人と楽しく関わって長生きしてくれることと、私と同じ病気の弟が少しでも改善に向かって、精神的に自立してくれること」が必要になります。

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で、この正式依頼メールをお送りして、まだAさんが開封されていない時刻にもかかわらず、なにか反応が起きてきました。

 

まずは同居している弟ですね。それまでは私のベッドの上で寝たり、ベッドの上はダメだと言うと、床で寝たりしていたんですが、それがなくなりました。…なにが起きたの??

 

ご飯もわずかずつ食べられるようになってきたようです。本当になにが???

 


その後、メールを読まれたAさんが「今回は自分がなにかをするではなく、神様のご加護をお願いして力を貸していただくことになりますが、それでもいいですか?」とお返事くださったので、「それでいいです。よろしくお願いします。」

 

「京都、伏見でしたら、伏見稲荷の近くですか?よくお参りされますか?」というAさんのメールと

「実はもうすでに変化が起きてるんですが…」という私のメールが入れ違いに…(^_^;)

「ああ、そういうことって多いんですよ(^^)」とのこと。

 

ええ、もちろん、お稲荷さんによろしくお願いします、ということでお返事しました。
で、Aさんがご祈祷してくださったようですが…。

 


なにしろお稲荷さんは仕事が速かったですね(^_^;) Aさん宛のメールをAさんより早く先に読んで行動しておられたような感じです。さすがというかなんというか…(^_^;)

 

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「ご祈祷終わりましたので、たまにはお礼の参拝もお願いしますね」とのことでしたので、

「お供えはなにがいいでしょう?やはり日本酒とかで?」ここで油揚げとかでてこないから、眷族ではなくて、本当のお稲荷さんだなあ、と思いました。

お酒よりも甘味のほうがいいそうです」(あら、意外…)

 

「本殿の後ろの方の奥宮にお願いしますね」

「奥宮というと6番のところでしょうか?千本鳥居の手前の…」

「そこじゃなくて、8番の奥社奉拝場ですね」

うわー、もろに千本鳥居の上だ(^_^;)

 

↓ここ。

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「体力なくて、まだそこまで行けないかもしれませんが…」

イメージでの参拝でもいいですよ。魂が参拝しますから」と言ってくださったので、とりあえずイメージの参拝は済ませましたが(ストリートビューで)、これだとお供えが無理なので、秋になったらなんとか頑張ってお参りしたいと願っております。足も鍛えないとね(^_^;)

 

 

まだ、ご祈祷から間もないので、もっとなにがどう変わるかわかりませんが、とりあえず母の食欲が回復したり、弟の検査結果が改善したり、私の仕事が順調に入ったりとか、そういうことがあるといいなあ、と願っております。

 

変化があればまたAさんにもご報告したいと思っております(^_^;)


これを書いている途中に特養から電話があって、母の食欲も12日頃から改善の傾向になって、血液検査の結果も去年ほど悪くないので、入院の必要があるかどうか、もう1週間ほど様子を見ましょう、とのことでした。ほっとしています(^_^;)

 

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教祖さまは不要ですね

こういう記事を見つけました。

 

「あなたの知らない伏見稲荷

トップページ

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稲荷神を信仰されている方達が各地で講を作っておられ
この講を管轄するのが伏見稲荷大社講務本庁
その講員さんの総数は巨大宗教団体に匹敵します
通常の宗教団体と違うのは
講員さんの一人一人が神秘体験や霊験から
自らが神の存在を自覚されて信仰されていることです
そこに通常の宗教論理は存在しません
宗教に見られる教祖様信仰ではなく、神霊との直接信仰がなされます
講務本庁の教師(教会長)は神霊と信仰者の媒介だけをします

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なんだかとても納得出来る気がする文章でした。

基本、私は「風」の属性なので、伏見稲荷とは相性がいいのです。

鞍馬寺比叡山とも。
実際に「私、ここ好き」と感じたところばかりでした。そういうのが相性なんでしょうね。

 

retrip.jp

 


とにかく、有名だから、とかそういうことじゃなくて、子供のころから親しみを感じていて、本当に氏神さまのようにも思えるのがお稲荷さんなんです。

 

現世利益、商売繁盛の神様じゃなくて、ずっと古代からの農耕神ですね。

豊穣の神様なので、自然災害などから守ってくださるイメージです。

 

不思議な、長いご縁ではあります(^^)

 

 

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マヤ暦 神聖暦ツォルキンが示す人生

マヤ歴を使った占いというのがあります。

 

他の占いに比べていまいちメジャーではありませんが、結構昔から存在するらしく、私が知ったのは20世紀、まだ「エルフィン」という雑誌を愛読していた頃でした。

 

エルフィン - Wikipedia

 

で、ふと思い出して、検索してみたところ、ネットにもちゃんとありました。興味があるかたはお試しください。生年月日だけで出来ます。

 

mayareki.biz

 

 

私の場合は以下のような結果になりました。

 

若い時にはそんなに感じなかった結果ですが、今改めて見てみると、思わず唸ってしまうものがあります。いつのまにかそういう感じに生きてきているのですが。そのことに若い頃は気付かないですが、それだけ多くの経験をしてきて実感してしまう、というのが正直なところです (ーー;)

 

他人の結果ですから、テキトーに読み飛ばしちゃってくださいね (^_^;)

 

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kin180  黄色い太陽 - 白い犬 の 音11


太陽の紋章 〈黄色い太陽〉

キーワード
「太陽の力」「円満・円熟」「公平」

●責任感が強い
小さい頃からしっかり者で明るく、決めたことは最後までやりとおします。
「責任」に反応しますので、物事をまかされると力を発揮します。
逆に「責任」がないと、まったくやる気がありません。

●納得しないと動かない
一貫性を大事にし、納得しないとテコでも動きません。
「責任感」が強く、「一貫性」を大事にしますので、
途中で変更されたり、中止されるのは苦手です。

●平等に扱う
太陽のようにすべてを照らし出だし、公平でありたいと思っています。

●話を聞かない
自分中心(太陽中心)と無意識で思っているようで、
多少のことは気にしません。
人からイロイロ言われることを嫌う傾向があります。
まわりの意見に耳を傾けることで、新しい発見があるかも。

●隠し事が嫌い
太陽の下では隠し事が出来ませんし、元々隠し事が嫌いです。
正直に生きて生きたいと思っています。
秘密ごともしゃべりたくなりますので、聞かないようにするのがベストです。

歴史上の人物では、相対性理論アインシュタイン、進化論のダーウィン

物質的にも精神的にも恵まれることが多いため、「感謝」の気持ちがポイントとなります。
たくさんの人、環境に支えられていることを認識し、誰にでも「公平」に接することを
意識してみてください。

適職
管理部門や渉外部門の仕事が向いています。
また、安定成長や成就の局面に入った分野で組織や企業で手腕を発揮します。

 

WS(潜在意識) 〈白い犬〉

キーワード
「誠実さ」「家族愛」「(宇宙の原理原則イディアに対して)忠実」「信頼」
 

●正直者
正直すぎる人で、自分の思いや信じる気持ちを
素直に伝える、やさしく厳しい人です。
ですが、自分が苦手な人には、助言をしません。
理論的に話をするよりも、
思ったことがすぐ口にでるので、言わなくていいことも
話してしまうことも。言葉にする前に注意が必要です。

●愛
「愛」について全般的に学ぶことが多いようです。
特に、家族愛。
家族や自分が家族と思っている人には深い深い愛情を注ぎます。
家族のためなら、自分を犠牲にしても家族を守ります。
「与える愛」「受け取る愛」「愛情」そして「自分自身を大切にする愛」
またそうなれないことからも学ぶことがあるようです。

●誠実・忠実
犬を連想するとわかりやすいですが、(人間的な価値観ではなく、宇宙の理念・イディア)
信じるものに対して誠実です。
信頼してほしいし、信頼されたいと思っています。

適職
忠実・堅実さからお仕えする要素から公務員、会社員

 

銀河の音 〈11〉

キーワード
「解放」「初志貫徹」
 

●強いエネルギーの持ち主
オリジナリティが高く、自分のスタンスやスタイルを
崩さず、独自の道を歩むエネルギーの強い人です。

「音11」の人は、太陽の紋章とWSが必ず反対Kinに
なる為、常に自分自身の中に
堅実さと奔放さなど相反する要素を持っています。
(「音2」の人よりもさらに大きな葛藤を持っています。)

一生、相克を抱えて生きていきます。

●強い信念の持ち主
粘り強く、一度決めたことは必ずやり遂げる
強い意志を持った人です。

●強い破壊力の持ち主
良くも悪くも、事をやり遂げるためには手段を選びません。
「改革者」という言葉が似合う人です。
結果的に「我」ではなく「公益」をもたらすことでは、
勢いに乗って大きな結果を生み出します。

人間関係
オリジナリティーが強く、他人の真似をするのが嫌いなため、
周りと不調和を起こし、混乱を招きやすい人です。

強すぎる信念を持っているので、
誰がなんと言おうと自分のスタイルを崩しません。

「音11」の人は、自分から周りと合わせようという機能が
ありませんので、周囲が理解し、尊重して受け入れてもらう
環境を整えることが大事です。

運気アップ
キーワード「初志貫徹」
出来ることをすべてやりきった上で、
起こることすべてに信頼をして待ちましょう。

適職
常にチャレンジする仕事。
スポーツ選手・画家・営業・政治家など
チャレンジしていく職業がエネルギーを解放

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ただ、とても引っかかったのがこの部分です。

 

ーーーー「音11」の人は、太陽の紋章とWSが必ず反対Kinになる為、常に自分自身の中に堅実さと奔放さなど相反する要素を持っています。一生、相克を抱えて生きていきます。ーーーー

 

そうそう、そうなんだよ。もう常日ごろから私自身の生涯の課題は「相反するもののバランスを取ること」だっていうのは自分で気付いておりました。

 

相反するもの。感情と思考、論理と直感、右と左、科学とスピリチュアル、東洋的なものと西洋的なもの、などなど…。山のようにあります。

 

これを象徴するように躁と鬱を行き来する双極性障害だったり、クロスドミナンスだったり、日本大好きなくせに、あまり日本的でない思考をしていたりするのです。(これは海外の友人知人に指摘されてわかります)

 

「バランスを取る」と言っても非常に難しいことばかりなのもわかります。でも失敗は出来ないのもわかっています。そういう運命に負けるとやっぱり目茶苦茶になりかねないかな?という危惧もあるにはあるので、だから自分に負けられないっていうのもやっぱりありますよね (^_^;)厳しい人生だなあ。

 

…まあ、でもわりとそれを楽しんでいるのも確かなんですが…。きっと死ぬまで退屈出来ないね〜 (^_^;)

 

占いが示す結果って人生のかなりを過ごしてから明白になったりするんだな。別に占いに捕われて生きてきたわけではないんだけど、それでも自然にそういう方向性に流れていっているから面白いなあ、と思います (^_^;)

 

 

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あれって「霊視」なの?


Facebookの方で、スピリチュアルに詳しい方とやりとりをしていてわかったことなんですが…。

 

私は本当に金縛りにあったこともなければ、幽霊も見えないし、まったく霊感はない、と思っていた人間なんですが、いまから30年近く前に、こういう体験をしました。

 

眠りに入ろうとして、うとうとしていたところ、枕元に強い気配がありまして、それと同時に「これは兵隊さんだ。でも戦死した伯父さんではない」ということもわかりました。そうはいってもなにをどうしたらいいのかもわかりません。心の中で「ごめんなさい。私にはなにも出来ません」たぶん、伝えたいことがあってもわからないと思うし…、と謝るしかなかったんですが、そうしたらふっと気配が消えました。

 

その後で食あたり的に体調を崩したりもしたんですが…。

 

 

 

この話、わりと誰にもありそうですよね、と言ったら「それが霊視ですよ」って言われてしまいました (^_^;)

 

視覚を使って見ているのでも、聴覚で聴いているのでもないのですが、でもイメージなどはわかるんですね、頭の中で。あれが「霊視」というものなのか…。わかりました。

 

霊能者として仕事をしているような人は、ああいうものを意図的にキャッチ出来て対応が出来るのか…なるほど…。

 

特に「怖い」という気はしませんでした。でも自分にはなにもしてあげられないのに、どうして来るの?来てくれてもなーとか考えていました。
体調を崩したのはそれだけ強い陰の気に当てられたせいのようです。一時的なもので。

 

ちなみにうちの近所には大正時代から、終戦に至るまで、かなり広い範囲に練兵場がありました。あのときの兵隊さん、なんとかしてくれる人に出会えて、なんとかなってくれていたらいいのですが… (^_^;)

 

 

この「霊視」っていうのは特別なようだけど、実は創作の時のイメージのキャッチとか、そういう感覚に似ているな…。イマジナリー・フレンドとは微妙に違うし、チャネリングというのともまた微妙に似てるけど違うし…。説明し難いですが「でもあるんだ」ということだけははっきりしてるんですよね。

 

幻覚ともたぶん違いますね。眼では見ていない。まあ、人間の視覚も結構曖昧なものですが…。

 

第三の眼とか言いますが、そういうものがあっても不思議じゃないかもね、という気はなんとなくします。なんというか、理屈や論理以前にそのあたりで理解して納得しているものもありそうですし。

 

 

 

個人的にはいいものと出会えたら嬉しいですが、反面ああいう能力が強くて、それを仕事にするのって大変だろうな、とも思います。本気で人助けじゃないと出来ないでしょうね。

 

 

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誰かが力を貸してくれる 不思議な経験

2015年10月17日の記事の再掲です

 

人間の心と身体には思った以上に密接な関係があるようだと思いますが、私の場合、わりと自分でも危機対応に備えて身体が変化する瞬間、っていうのを体験してるんですよね。

もともと子供時代は人ごみに行くだけで翌日に自家中毒で意識不明になるような感じでしたから、外界に反応する過敏なところはあるかもしれません。
いまでも季節の変わり目でずっと微熱が続いてるし。(そのかわり風邪を引きにくい利点もありますが (^_^;))

 

ここ10年あまり…11〜12年かな?
家族が次々に病気になって、介護することになって、病状が急変したり発作が起きたりで、救急車に付き添いで乗ること十数回。(自分が乗ったのは去年の交通事故の時だけです)
ご存じかもしれませんが、付き添いっていうのも結構大変なんですよね。詳細説明とか、入院の手続きとかもろもろあって。全然ぼーっとしていられません。心配ももちろんありますし。

そういう緊迫感のある状況を不本意ながら十数回体験していたら…。
それまで30年以上、ずっと悩まされてきたパニック障害がいつのまにか完治してました。驚きです。

 

「なにがなんでも私がやらないといけない」ということが続いていたので、それを懸命にこなしていくのが(自分のことを考えるのもあとまわしで)一種の認知行動療法みたいになったんでしょうか。
でも完治したのは頑張ったご褒美みたいでとても嬉しいです (^_^)

救急車にそれだけ乗りたくはないものですが… (^_^;)

 

で、2年前の10月。母が倒れた病室で、「これは完璧に介護が必要になるな。困ったなあ」と頭を抱えていました。

 

その時は2年ほど前から、左腕の五十肩らしき痛みに悩まされていたからですね。腕はもちろん上がらないし、後ろに回してエプロンの紐を結ぶことも出来ないし、当時はかなり苦労をしていたんです。

その腕で介護なんて可能だろうか?と母の病室で悩んでおりました。
その時ですね、自分でも信じられないことが起きました。
突然に腕の痛みが消失したんですね。わずか数秒のことでした。

さっきまであんなに痛かったのに…。狐につままれたような変化でした。
でも、もう痛くない。介護も出来る、と思いました。

 

あとでお聞きすると、非常時対応で左手の先まで一気に「気が通ったのでは?」ということでしたが、こういう医学的ではない説明がなんとなくはまる体験が時々ありますね。不思議です。

まあ、私は結果オーライ、と思う方なので、ありがたくその状況を感受しております。
実際に家族のために必要な腕でしたから…。

誰かのために頑張ろうと(主に家族ですが)すると「よし、頑張れ」という力を神様が与えてくれているような気もします。「自分のため」じゃないんですよね。「自分以外の人のため」に使う力は貸してもらえそうな気がします… (^_^)

 

 

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私が感じるあの世とこの世の近さについてーPray for Peaceー

私はよく死者に向かって心の中で語りかける、ということをします。自分の家族はもちろんですが、生前親しくて知っている故人に対してもそうです。これは誰に言われたことでもなくて、子供の頃からずっとやっていることなので、常にこの世とあの世との距離の近さを感じているのですね。気が付いたらそうだったので、これが普通のことだと思っていました。今でもそれは続いています。

いろいろと頼んだり、感謝したり、心の中の雑談につきあってくださるご先祖と、親しい亡き方々に心から感謝しております。おかげで私もなんとか毎日生きてきております(^_^;) 故人の存在は神仏よりもずっと身近で親しみやすいものなのですね。

故人と語る、語りかけるということ。自分にとってはそれが当たり前のことなんですが、実はそうじゃないらしい、というのはわりと最近知りました。ちょっと意外でした。そうか、みなさん知らないから死ぬのが怖かったり、死に対することに忌避を感じたりするんだなあ、と思いました。

その代表でもあったかもしれない父を、私が看取ったというのはやっぱりそれなりの意味があったということなのでしょう。


 

norarikurari0325.hatenablog.com



死者に語りかけるというのは悟りの境地の一つであると、はてなのコメント欄で勇気さんに教えていただきました。実はこれも私的にはよくあることなので、あまり特別な感じはしませんが…。


haruusagi-kyo.hateblo.jp

 

まあ、生きている限り、迷いも悩みもありますし、現世でも実にいろいろな方々に助けられて生きてるなあ、としみじみ感謝をするのですが…。看護師さんと話していると、「大変な人生でも、要所要所でうまくサポートしてくれる人に出会われますね」とのことですが、それは本当にそのとおりで、私は実に「人」に対しては恵まれているのです。恵まれすぎているくらいにありがたいことです。


今はネズミの被害以来、閉めていますが、うちの仏壇はそういう語りかけるための「どこでもドア」でした。

親しい人が亡くなられたとします。そうすると相手の方の宗派とか宗教に関係なく、まず仏壇の前に座って冥福を祈ります。感謝もお礼も全部告げちゃう。仏教じゃなくても神道の信者さんでもクリスチャンでも無関係です。ましてやうちの仏壇は日蓮宗のご本尊を返してしまっていますから、本当に単なる「場」でしかないのです。だから「どこでもドア」 (^_^;)

今はMacの前での方が圧倒的に多いですが…。臨時の祭壇にもなるうちのMac (^_^;)


死後の世界があるかないかは本当に人それぞれに考えが違うと思いますが、肉体の方は輪廻しますよね。分子や原子に分解されて、地球や宇宙を構成するものに戻っていって、ものすごく未来に、また何かの生物の中で再構築に使われるかもしれませんし…。いまのこの身体だって、太古の水の成分や、古生代の生物の一部が混じっているのかもしれませんし…。

あの世が存在すると思った方がいいなあ、と私が感じるのは、その方が今を生きるのが楽だからです。安心感もありますしね。子供の頃からずっと感じていたものを素直に肯定すればいいんだな、と思いました。神仏なんて特別な存在は必要なくても、それこそ親しい家族や故人を身近に感じているだけでものすごく安心するのですね。

で、万一死んで「無」になったとしても、「あ、しまった」なんて感じる暇がないですね。なにしろ即刻「無」だから後悔する間がない (^_^;) だったら「あるよ」と思って、そこから安心感と勇気と励ましをもらって生きている方がずっと素敵です。

生きている人と、亡き人と、たくさんの人に支えてもらっているから、死神の誘惑なんかには負けません。


 

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京都に六道珍皇寺というお寺があります。平安時代小野篁があの世に通って閻魔様の手伝いをした、という言い伝えがあります。浄土宗では、お盆に入るとここにお参りをして、ご先祖の霊を迎えに行きます。迎え鐘を撞いて、槙の枝にご先祖の霊を乗せて家に帰ってきます。16日の夜、大文字の送り火で送るまで、家で供養をするのがお盆なんですね。

で、母の実家が浄土宗ですので、母方の祖母と一緒に子供の頃はお参りに行っていました。

お盆の時期だけ、ここでは地獄絵図が公開されます。結構迫力があります。まあ、絵で説明するほうが迫力と説得力がありますよね。

私が変な子供だなあ、と自分でも思うのは、地獄に落ちた亡者よりも、気になったのが彼らを罰する牛頭、馬頭の獄卒のほうでした。だって気になりませんか?彼らはどうしてああいう役目をしているんだろうか?ああいう役につくまではどういう存在で、今はどうしているんだろう?とか。辛かったり、苦しかったりはしないんだろうか?感じないからああいうことが出来るのかもしれませんが、でも彼らに「救い」は必要ないんだろうか?と小学生くらいの私は思いました。そちらが気になって地獄の様相に恐ろしさを感じることがなかったんですね。

検索してみたら、大抵のお子さんは怖がって泣いたり、ショックを受けたりするようです。それがトラウマになったら困りますが、まあ怖がらせるのが意図で描かれているのは確かですね。

私の感受性ってどうなってるんでしょうね?? …でも実は今でも気になります(^_^;) 子供の頃に大人に聞いても誰も教えてくれませんでしたし…。まあ、困るよね、大人も。こういう質問をする子供って厄介だろうな。




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いろんな宗教に関する「素朴な疑問」てたくさんあるんですね。そんなに勉強をしたわけでもないと思いますが、なにか気がつくとそういう疑問が生まれている。納得しがたいパターンが多いと、やはりどれかの宗教に特に惹かれることもありませんし…。

お稲荷さんは今も好きですが、お稲荷さんが氏神さんでもありませんから、自分のお葬式は無宗教でいいです。…それ以前にお葬式は不要です。お墓もいりません。ただ、自分のサイトとブログは死後も残しておいて欲しいなあ、とは思いますが…。
それも単なるこだわりに過ぎないのかもしれません。

このごろの深い眠りは案外魂だけがあちらに帰っていたりするせいかもしれないなあ、と思います(^_^;)

ただ、それだけ近くにあっても、きちんと決められただけの長さの自分の生を全うしてからでないと、あちらで快く迎えてもらえないだろうな、というのもわかっています。なので、希死念慮なんかに負けるわけにはいかないのです。

 

 

黒柳徹子さんがユニセフのお仕事をされていて、「大丈夫、決められたその時が来るまで私は死なないから」と言って、地雷の埋まっている場所にでもどんどん入ってしまわれる、という話をどこかで(ツイッターだったかもしれません)聞きました。なんだかこのごろそれが実感として理解出来る気がします(^_^;) いや、そういうのが寿命だよね、と妙に納得してしまったので…(^_^;)

そういうことで、私の記事にはしばしば「死」にまつわる話が出てきます。それはあの世とこの世の距離の近さを感じるゆえと、それゆえに忌むべき話題でもなんでもないからなのです。宗教的でもありませんけどね(^_^;)

 

宗教ゆえに多くの人を不幸にするという現実があるのなら、それもしっかりと見つめる必要もあるだろうな、と思います。今を生きる人たちが幸せになれなければ、あの世にも幸せはないと思います。この世は天国も地獄も写し鏡のように反映しているのだと思います。「死んで幸せになろう」じゃなくて、この世に生きていてみんなが幸せにならないと駄目なんだよ。

今は亡き多くの人たちと、私自身のそれが最大の願いです。そして祈りです。



試みの初めに… ご挨拶

日頃から、雑多な日記を書いております。主な内容は自分の持病である双極性2型障害からの気づきや、2006年から足掛け10年携わっている両親の介護や、生涯の支えであるお絵描きの話などですね。

 

スピリチュアルと特記するのもおこがましいのですが、自分の病気と両親の介護を通して、いろいろと気づくことが多く、これってもしかしたら、かなりスピリチュアルっぽい??とふと思った次第です。

 

もともとブログのカテゴリの中では地味なテーマですし、たまにしかない記事でもありますが、過去記事の再録も含めて、ちょっと抜き出してみようかなあ、と思った次第です。

 

まあ、だから記事の内容は新旧取り混ぜて重複しています。読んでくださる方がなければあっさりとやめるかもしれません。

 

気軽なお試しですね(^_^;) おつきあいくださる方があれば嬉しいです。

 

 

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