ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

 

良き自立と相互依存について

 

「あなたのことが好きだから、あなたを大切にしたいです。

そしてあなたが好きな私自身のことも同じくらいに大切にします」

っていうのが「良き自立と相互依存」になると私は思ってる。

相手を大事にするために自分も大事にする。

ちゃんと出来れば無理も矛盾もない。

 

 

パートナーを大切にするのと同じくらいに自分自身を大切にしないと、

逆に大切な人に負担をかける気がします。

相手も自分も大事にするのがベストかな?と。

 

これって介護とか看護でも言えると思うんですが。

あまり頑張ってるのをアピールしすぎないのがいいんじゃないかなーと。

それでもって自分が尽くしすぎないように、適度な発散は必要。

趣味にハマるとか、気分転換で外出するとか。

 

自己犠牲は双方に不幸です。

一人ずつ自分の足で立って、病気になったり転びそうになったりしたら

大丈夫な方が支えるのはおたがいさまで。

 

どこまでも対等な関係が精神的には無理がないです。

 

ツイッターのつぶやきから失礼しました(^_^;)

 

 

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明るいお葬式 (^_^)

 

メインサイトからの転載です。

そろそろ喪中はがきの印刷をしないと、と思いつつなかなか進みません。

原稿はすでに出来ているのに…。

 

 

 

母の葬儀は無宗教で音楽葬みたいに、母の好きなジャニーズの曲で送りました。
特養の個室でも聴いていた少年隊とSMAP

 

おかげで私は今でも「オレンジ」を聴くと条件反射みたいに

泣けてくるという後遺症が残りました。

 

 

 


SMAP〖オレンジ〗

 

 

お経だったら泣けないと思う。これは結構幸せかもしれません(^_^;)

 

生前に深くお経に馴染んでいる人なら別ですが、死んだらいきなりお経の真髄が
理解できるようになるかというと、とても無理な気がするし。

 

あ、でもお経をあげることで「あなたは死んだんですよ」と告げることは可能かも。
これは幽霊にも通用しそうですね。自覚を促す意味で。

 

 

 


宗教にこだわらない場合、音楽葬は結構オススメです。

故人の好きだった音楽と共に生涯記憶に残るし。

 

父の時は参列者が多くて、臨時でお坊さんにお願いしましたが、

本当は音楽葬やりたかった。
エルヴィス・プレスリーフランク・シナトラの流れる葬儀を。

 

まあ、お坊さんが来られたので、それなりにお経で送りましたが。
でも戒名は私がお坊さんと一緒につけたので、父への最後のプレゼントみたいでした。

 

私はそういう風に最後のイベントを自分なりに演出して送るのが

好きなのかもしれません。

 

…っていうか、お仕着せの形が好きじゃないのですね。

要点さえ押さえていればアレンジは可能だと思うし、家族葬の規模だと

オリジナリティのあるお葬式がやりやすいです。

 


そもそも音楽葬を初めて体験したのは30数年くらい前のかかりつけだった

先生の葬儀に母が参列した時だと思います。母が家族を代表して参列しました。

 

その先生がお好きだったらしく、葬儀のあいだ中、琉球民謡が流れていたとかで、
帰宅した母「あれええな。私の時もあれやって!」とリクエストしたのでした。

 

うん、だから叶えたよ(^_^;) あれでよかったかな?

 

 

 

私自身の時は好みのバラエティがあるから前もって葬儀用の音楽集を

まとめておかないとダメだなあ、と思っています(^_^;)

 

家族葬規模だと4、5曲も準備すればいいんですよね。

 

お葬式は別れの儀式でもあり、故人の旅立ちの見送りでもあり、
人生完了の「お疲れさまでした」の慰労でもあると思うので、

いろんな形があってもいい気がします。

 

 

個人的に落ち込んでいても「楽しいお葬式」を空想していると

なぜか気分も上がってくるから不思議だと思います(^_^;) 

 

 

私が死んでもあんまり泣いてくれなくていいと思う。
笑って送ってもらえたらきっと本望(^_^)

 

 

 

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死ぬのにもタイミングがある

 

私は運命論者ではないんですが、人の生死には天命みたいなものとの関わりがあって、

どんな病気でも事故でも事件でも自殺でも、その人がこの世でやるべきことが

残っていれば、生き延びるような気がしています。

 

誰にも発見されずにひっそり亡くなられるケースだってありますが、

誰かに発見されて、適切な医療を受けられたというのも自分で左右しがたい

意思のようにも思えますし…。

 

自殺をはかった人が飛び降りた結果、生命が助かったけど首から下は麻痺の

ままだとか、それでもその身体でやるべきことがあるのかなあ、と思えますし…。

 

この世でのやるべきことをちゃんと果たしたら、安らかな死を迎えることが

出来るのかなあ?と両親を看取ってなんとなく思いました。

 

ある程度は自分で死期を決めて来ているのかもしれませんが、

そこに至るまでは自殺しても上手くいかないこともあるんだろうなあ、と。

 

無理やりに長生きさせるためだけの過度な医療は必要ないと思いますし、

かと言って安楽死もちがうと思います。

死ぬのにも自然で適切なタイミングがありそうですね (^_^;)

 

あ、いま思い出しました。

母も「その時がきたら『助けて』って言うてもあかんしな」と
言ってました。…だからあっさり逝っちゃったのかあ (^_^;)

思い切りがいい死に方だと思います。

 

 

 

 

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