ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

 

ライトワーカーだというのがぴたりとはまってしまう

 

書物の内容に関する既視感について。

そうじゃないかなあ、とは思っていたけど、私はやっぱり

ライトウォーカーじゃないかなあ、と思う。

子供の頃からそういう類の違和感はありました。

自分は特別な人間だとか、そういう意味では断じてなくて、

今の世の中の主流を占めている物質至上主義みたいなものが

ずっとまやかしだと思えて仕方がなくて、本当の幸福はその上には

存在しないというのもわかってたし、他の人と同じようには

目指せないと思っていました。

 

そういうのは多分、物質を超えたところにある価値観からきている

ものだと思っています。

だから今までずっとそういう自分の価値観に沿って生きてきたけど、

それは間違いじゃなかったし。

 

3.11の地震津波はやはり日本人の心の底の何かを揺り動かしたと

思います。

何か具体的にできるわけじゃないけど、私が私らしく生きることが

ロールモデルみたいになるのかな?と思ったりしています。

 

 

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この世はバランスで出来ている、たぶん

 

哲学や仏教などの本を読んでいると

相変わらず既視感がすごく強い。

ここ2、3年はずっとそういう「すでに知っている気がする」という

既視感があった。

 

もしかしたら、こういうことは本当にすでに知っていて、

生まれる時に一旦全部忘れてくるんだけど、

生きているうちにひとつひとつ自然と思い出してくるのかもしれない。

私の感覚としてはそういうものが強い。おさらい的に。

 

きっと転生回数も多いのではないかと想像する。

だから生まれつき知っていることが多くても不思議じゃないかも。

「知識」ではなくて「知恵」として。

 

「科学」は肉体と物質ありきのこの世の中では共通認識に

便利なものだし、かなり公正でもあるし、あなどれない手法であるとも思う。

ただし、それのみが万能ではない、というのが正直な感覚。

 

どちらでもあり、どちらでもない場所で上手くバランスを取る必要は

あるよね。悪意を持ってそれらを用いる人たちから大切な人を

守るためにも必要ではある。

 

正しい知恵を持ちたいと願う。

 

 

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今日のつぶやきから…

 

母が亡くなって半年。3年間通った特養に行かなくなって半年。

ちょっと寂しい。もう部外者だから行けないけど、時々ふっと

あの場所にまだ母がいても変じゃない気分になる。

もうとっくにこの時空間にはいないんだけどね。

この感覚は不思議だなあ…。

 

大切に思う人ほど亡き人がその人の夢に出てこない。

なぜなら後を追われると困るから。…という説はなんだか説得力があるなあ。

うちの両親もいっこうに出てきてくれません (^_^;) 

ここで頑張れと言われてるみたいです (^_^;)

 

死にまつわる話を確認しながら語るのが、きっと私なりの自分のための

グリーフケアだと思っている。

 

でも本当は一番味方なのは歳月なのよね。歳月だけが哀しみを癒す。
母の場合も、死後しばらくは家の中に濃厚な気配が残っていたけど

徐々に薄れていった。

そしていまはいないことに慣れて、父と二人でいることに安堵している。

真面目な供養は出来てないけどごめんね。

 

そういうことは理解して納得していてくれる人たちだから

たぶん気にしてない確信があるのです (^_^;)

 

我が家はこういうテーマ、生と死や病気の意味やかなり哲学的な会話を

両親としていた気がする。

それだけでも自分がいかに恵まれているか実感する。

だから彼らが言いそうなことは私にはわかるのだ。

今どこにいるかもなんとなくわかる気がする。

不思議な縁のある親子だと思う。

 

いかん、まだやはり「オレンジ」で泣ける。これはもう一生続くかもしれない。

けどそれが幸せだと思える。 

 

 

 

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