直感は予知してたのかな?
ちょうどバレンタインの日に、ネットのお知り合いであるMさんの奥様のおめでたのニュースを知りました。
これはお祝いのメッセージを送らないとなあ、とすぐに思ったんですが、なぜだか「おめでたいこと」だという気持ちがどうしても湧いてこなくて、これはどういうことかと、かなり悩みました。
上のお子さんたちの時にはまったくそういうことなかったんですよね。なのに今回に限ってどうしてお祝いが言えないんだろう?たとえコメントでもいいから一言なにか書き込めばいいのに…。
それなのに不思議な心の抵抗があって、結局おめでとうのメッセージは伝えられないままでした。
そうしましたら、今度は昨夜になって悲報が入ってきました。奥様が流産されたということでした。
もしかして、これのせい?だからためらったのかなあ?自分でもわかりません。哀しいことですが、母体がお元気らしいのがなによりだと思います。先に希望を持っていただきたいと願っております (^_^;)
なぜかわからないけど、こういうことってありますよね。私の場合はほとんど「直感」になりますが、予知というほど大げさでもなんでもないけど、あとになってから、「ああ、これだったのか」と納得するパターン。
こういうものが上手く働けば、あるいは大切な人の危機を避けられたりすることもあるかもしれないなあ、と思いました。
願いと祈りと…
私はよく東日本大震災関連の実話エピソードを集めた本を読みます。
家族の絆とか愛情とか、もう本当に泣けるばかりですが、そういう時に危難に際しての直感の重要性みたいなものを感じます。
大自然が相手の災害ですが、ささやかに家族や身内を守るために、祈りが有効になることだってあるかもしれないと思っています。
で、去年の今ごろに私が描いたのがこの龍の絵です。
富士山の女神(コノハナサクヤヒメだと思います)に山の鎮めをお願いしました。
↓ 詳細はこちらにありますが。
私の甥や姪は富士山の近くに住んでいるので、噴火とか地震とかあって欲しくないし、もっと広い意味での「お守り」のつもりで描きました。
自室にも母の個室にも飾ってありますし、姪の所にも送りました。気に入ってくださたったかたはスマホの壁紙でも、ポストカードでもなんでもお好きに加工して身近で愛用してくださると嬉しいです (^_^;)
宗教関係ありません。私の願いと祈りだけ入っています。