ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

魂の既視感、とでもいうのだろうか?

 

論理的な私

 

私は他の人も認める、きわめて論理的な人間です。

絵を描く時はともかくとしても、文章を書いている時は左脳がメインで働いていると思います。インプットもアウトプットも左脳人間なんですね。

 

ですから私の意識にあるスピリチュアルなものも、かなり論理的に「地に足がついたもの」です。それがないと、どうも疑ってかかることがあるようです。なので、滅多に騙されることもありません。

 

特別な能力もありませんし。

 

 

スピリチュアルなことへの関心の理由

 

それならどうして興味関心があるかというと、既視感のようなものを感じるからです。幼児期は一人遊びが好きで絵本を読むのが好きな子供でした。子供が少ない土地柄でしたので、祖母と京都御苑の中に絵本持参で遊びに行くのが常でした。

 

初めて多くの同じ年の子供たちに出会ったのが幼稚園の頃。そこでも集団での遊びに馴染めない子供でした。が、「まわりとはなんだか違う」という感覚から、他の女の子がお嫁さんの絵を描いているのをみて「私はあれはならないな」と直感で思ったのが最初かもしれません。

 

その後成長するにつれて、スピリチュアルな傾向がある物事に出会うと、非常に既視感を抱くことがありました。子供ですので、まだそんなに難しい本も読んでいない時です。でも「あ、これ知ってる」と思いました。

 

そういうことが何度もあって、その既視感の正体を探るべく、大人になってからもいろいろな勉強をしていたんですが…。「これは知ってる」と思ったことはどう見ても真実で、それではなぜ幼い子供がすでにそういうことを知っているのかと思うと、生まれる前に別の人生で経験していた、と考えるのが自然になってくるんですよね。

 

そのへんで魂と生まれ変わりはあるんだな、と確信が持てました。

 

でも、それはあえて他の人には話さずに来ました。ただ、知りたいタイミングが来た人に対しては父の場合もそうでしたが、私が話した、というよりも誰かが私の身体を借りて言葉にしてくれた感じがしています。

 

前世で意味があった経験だからこそ、この世でも意味があるんですね。天寿を全うすることの意味、辛いことが多いのはこの世が修業の場であることだから、ということなど。

 

宗教でもなんでもないので、別に誰かに話そうかと思うわけではありませんが、これを認識しているのといないのとでは、現実を生きるための力が違ってくるのは確かです。知っていれば、これほど現世を生きるのにパワーになることもないわけですね。

 

 

 

前世と今生の経験値

 

多分、私は生まれ変わる機会が多くて、多くの経験を重ねてきたんだと思います。その途上で納得したことは早く思い出すみたいです。

 

で、気がつくとあらゆる占いが示すとおりの人生を歩んでいたりする。その人生で課題になっていることに気付くのも、それを処理するのも早いのですね。

 

魂だけの経験値もこの肉体を得てからの経験値も高いのではないかと思います。

ちょうどひと区切りの人生になるのかもしれません。

だから特別な力はないんですね。ただ、地に足をつけることの重要性は身にしみています。

 

 

創作の神様???

 

私の唯一のパワー(?)みたいなものはやはり「プロになりたい」と思いつつ創作を続けておられる方が本当にプロになられるかどうか?くらいのものです。10代の時からずっと見ていて、今のところは外れたことがありませんが、でもこれも現実的な分析が大事なのかもしれません。

 

地に足をつけたスピリチュアル、は今の世の中の基本のようだと思います。

 

 

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