一昨年あたりからなんですが、たまたま興味を持って手にした本の内容がことごとくデジャヴを感じる、と言う状況になっております。
確かに初めて読む本なのに、その内容はすでに知っていた、と言うケースですね。いつ?どうして自分がそれを知っていたのかわからないのですが、確かに知っていることが多かったのは事実です。
これはもしかしたら禅で言うところの「魔境」ではないかと思いました。
Wikiには
魔境(まきょう)とは、禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを崩した状態のことを指す。ユング心理学で「魂のインフレーション」と名づけられた状態だという指摘もある。
臨済は、「瞑想により仏陀や如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ」「仏見たなら仏を殺せ」と教えている。これは、瞑想中に神格を持つものとの一体感を持った結果「自分はすごい人間だ」と思い込んでしまい、エゴが肥大してしまうのを防ぐ、すなわち魔境に入ってしまう状態を防ぐための教えだとされている。
実際に光のようなものが現れても、それは単なる脳内の視覚野の発火現象であるという意見もある。
要するに思い上がってはいけない、と言う警告のようなものです。なので私もたとえ既視感があっても、一層舞い上がったりしないで冷静になろうと思いました。
もともと私は瞑想するのが怖いタイプの人間です。双極性障害もありますが、特にこちらから情報を求めなくても、絵を描いている最中は瞑想に近い脳の状態になっていると感じることもあります。
自分自身を幾らかの距離を置いて見つめる「内観」はよくやります。こちらの方が私には合っているようです。
まあ、どの本に書いてある内容でも鵜呑みにはしませんが。一旦フィクションとして受け止めて置いておくやり方もあります。そうすると何ヶ月後、長ければ何年後に「直感」として腑に落ちることも多々あります。
「腑に落ちる」深い理解ですね。そう言うこともあるので、無意識界の中にあらゆる情報が漂っていて、必要な時が来るとまとまって落ちて来るのかしらね?と感じています。無意識界のライブラリってありそうだなあ、と思います(^_^;)
その必要に応じて落ちている状態が既視感みたいなものなのかもしれませんね。いつかどこかで魂が体験して覚えていることもその中にはあるだろうと思っています。