メインブログからの再掲です。
私の誕生日は旧盆の8月16日です。祖母の話だと「大文字が消えてやっと生まれてきた」そうで。お盆に戻ってきた祖霊があの世に帰るのと逆行して「頑張れよ」と言われつつ「えー、やだなあ」と思いながら生まれて来たイメージが幼児期からずっとあります。
実際、首に臍の緒が二重に巻いていて、すぐには泣かなかったみたいです。ああ、生まれてしまった、という感じかも (^_^;)
で、幼児期に何度も死にそうになっていたので「あの世とこの世は結構近い」という感覚が定着しました。だからこそ生と死は常にワンセットだと思っています。物質的な執着の薄さもそのへんから来てそう。
日本的な祖霊信仰じゃなくても宗教を越えた所にある感覚。生まれつき、気が付いたら知ってた感じです。
で、そういうのって両親も近いものがあったんですよね。死の話が日常会話な家庭。それもネガティブな暗い話題じゃないんだよね。死はタブーではない。普通に生活とか人生の一部という認識。…変わった家族だと思います。(ホントは当たり前だと思ってるけど)
終活などよりもずっと早い、我々が子供のころから、それはしばしば話題になりました。祖父の死は私が小学3年生の時でしたし。そのあたりから、日常の一部になった感じかも。
その延長で、いまでも肉体を持って生きるのにひどく疲れると死にたくなるんだな。
その反面で今生でやるべきことを全うしないとスムーズに移行出来ないこともわかってて。そういうことも基本的に子供の頃から知ってた気がします。変な子供だったよね(^_^;) 今でも変だけど。
普通の人が下手すると死の直前までそれについて考えられないのがすごく不思議。霊柩車だの葬儀場だのが死を連想させて嫌だというのも…。よくわからない。死なない人はいないのに。
たまたま健康的で美しく才能を持って生まれたとして、逆に生来の病や障害を持って生まれたのも紙一重な気がします。今生での修行のテーマが違うだけで。
だから健康ではないハンデがある人をわが事のように思っても当たり前だと思う。いつかは自分自身のテーマになるかもしれないし。だからそういう差別もわからない。そういう差別は愚かな事だと思います。
私は「身体がない世界」をいつも想定している気はします。するとおのずと平等や自由が見えてくる。
肉体がない世界では性別がないので、ジェンダーに関することもやっぱり肉体があるゆえの課題だろうな、と思います。これだけ身体と心の不一致に悩む人が多いんだし。多様性を認めない世界は不自由で仕方がないです (ーー;)
なんというか、身体がない想定をすると色んな不自由が消えていくので、わざわざ不自由な身体を持っているのってやっぱり課題だとしか思えませんね…(-_-;)
眠ると一時的に身体が存在する認識がなくなったりするので、やはり死の疑似体験のように思えます。母などもいろいろわかってたから、一人であっさりさっさと逝っちゃった感がありますし。あとせめて30分待ってて欲しかったとは思いますが、そういう執着もなかったみたい。
両親とも、亡くなる1年くらい前に斜め上あたり、天井に近いところを見つめて「怖い…」とつぶやいたことがありました。なにが見えていたのか、父は「兄ちゃん」と言ってましたので、若くして戦死した伯父のことだと思います。もう生きている人ではないことがわかっていたから怖いと感じたのかな?
入院時の譫妄とは明らかに違いました。譫妄の時は興奮状態のようでしたが、その時は静かでした。二人とも静かになにかを見て「こわい…」とぽつんと。
私は二人の側にいたけど、なにも見えないので、誰かお迎えに来ているのかな?と思いました。死の直前ではないことがちょっと意外でしたが。でもお迎えに来てくれるんだ、と思ったのは妙に安堵感がありました。だって道に迷わなくてすむしね (^_^;)
http://www.gujo-tv.ne.jp/~tyouzenji/mitoriomukae.htm
父も怖がっていたわりには最期まで私がそばについていたら安心出来たみたいだし、わりとさっぱり逝っちゃったなあ、とはやはり思います。二人とも安心した顔してたのよね。とても穏やかでいい顔でした (^_^)
本当に大切なことがみえて来る反面、この世への執着が薄れて行くところもあるけど(^_^;) もうちょっと創作に関しては執着していたいなあ…(^_^;)
自分が死ぬ時はだれが迎えに来てくれるのか、それはとても楽しみです (^_^)
死を語ることはすなわち生を語ることである。
よき死を迎えるのはよき生を全うしたからである。