私はたいていいつもぼーっとしているので、意識下に起きた変化もすぐに無意識に置いてしまって、気がつかず、あとから思い当たることがしばしばあります。
東洋でも西洋でも古来より蝶は人の魂として考えられていたようですね。
ぼんやりしている私ですが、ちょっと意外性のある場所に突然蝶が現れると不思議に思います。そしてその蝶は亡くなった誰であるのかも瞬間的にわかります。
父の場合は黄蝶でした。晩秋の昼間。コンビニに行く道の途中でした。住宅街の中の道で、取り立てて花が咲いていたわけではありませんでした。ひらひらと先触れのように飛んでいました。あれは父だよね。ずいぶんとかわいらしい蝶になったなあ、と思いました。
母の場合はアゲハチョウでした。私が郵便局に行く途中、住宅の前庭の水たまりの水を飲んでいました。母も2,3年胃ろうでしたので、喉が渇いたんだろうと思いました。
2人とも命日からひと月前後かな?まだ四十九日が来ていなかったので、そういうこともあるかとすんなり納得しました。
どうも蝶は故人の魂の化身、もしくは魂を運ぶイメージがあります。
あと、これも本当に珍しかったので写真も撮りました。
5年くらい前、クリニックの始まりを待っている時です。朝の8時20分くらい。患者さんは他に1,2人おられるかどうか、ですね。
その大きな窓ガラスにオハグロトンボが止っていました。
ここは国道のそばで商店街も近くで、人も車もよく通ります。トンボが生活出来そうな綺麗な水場も川もありません。なのにどこからきたのでしょうか?これに気がついて見てたのは私だけですが(^^;)
すごい不思議でした。いま、調べたら別名「神様トンボ」ともいうらしいです。
これらの蝶やトンボがその場を離れたあとにどうなったのか記憶が綺麗にありません。普通の生活の場に、町中の昆虫というのが意外に思える時代になりましたね。
こういう意外性のある出会いがあると非常に嬉しいのですが(^^;)