半分寝ながら朝のTwitterを眺めていたら「生まれたのが成功、悔いを残して死ぬのが敗北」みたいな投稿がありました。捜しても見つからないのでリンク不可です。曖昧な記憶ですみません。
でも、霊的な世界を想定しないというのはこういう真逆な捉え方になるんだなあ」と思った。
私は肉体を持つのは不幸、肉体から解放されるのは祝福、という認識が強いです。まあ、それなりの意味があって生まれてきたんだから悔いなく日々を送ろうと思っていて、今生で達成しないものがあってもそれはそれ、と割り切れそうな気がします。あとは次世代に託せたら上等ですよね(^^)
いま読んでいる「輪廻転生ー<私>を繋ぐうまれかわりの物語ー」にはアラン・カルデックの著書も引用されています。
私はどうも親ガチャで今の両親のところに生まれてきたわけではないみたいです。これについては賛否両論ありますが、目茶苦茶強い、ゆずらない強い意志で「あの家でないと嫌」みたいなことを言ってたらしいです。
仮死状態に近く生まれてまだ葛藤していたみたいですし。このへんのことは守護霊さんに確認しました(^^;) なんか性格が現在もそのままみたいですが(^^;)
リインカーネーションについて語られた一部
<霊>はさらに「粘り強く耐える気概」を養うためにわざわざ「貧困の人生」を選んだり、逆に「誘惑に打ち勝つ精神力」を向上させるために「財産や権力のある人生」を選ぶ場合もあると説明します。ただし、金や権力はついつい悪用してしまうし、邪悪な欲望を容易にかきたてるため、後者は前者よりずっと危険な選択であると付け加えられます。
他にもあえて「欠点のある肉体」を選ぶこともあるといい、この場合は非常に苦労が多いため、逆にその欠点を克服できれば霊性は飛躍的に進歩すると述べられています。
それでもカルデックは納得せず、「そうはいってもやはりいちばん苦痛の少ない人生を選ぶのが自然では?」と尋ねます。
<霊>:人間の立場からはそう思えるだろう。しかし、霊の立場からはそうではない。物質から解放され、種々の幻想が消えると、人はまったく違うように考えるものだ。
私も全部読んだわけではないですが(^^;)
私達は地上ではみなチャレンジャーですね。それぞれの課題を相手にして生きている。障害や病気などは肉体の欠点であり、それを乗り越えるのにどれほどの努力が必要か知っています。でも飛躍のために有意義なら嘆かずともいいんですね(^^;)
私はものごころついた時から輪廻転生を疑ってはいませんでした。だから人生に対する視点をどこへ持ってくれば納得出来るか考えました。視野と視点が違えば見える世界は違う。
この認識からうつ病のひどい人は本当に視野狭窄に陥っていて、だからこそまったく違ってみえる世界の存在を知る意義がありました。
こういうふうに現実の病の対応にも大きな力になっています(^^) スピリチュアルは決して現実逃避ではないのですね。