分身といってもアバターではありません。外見ではなくて、内面の自分を反映している気がします。イマジナリー・フレンド説でもいけるかな?
もともと私は頭で組み立てて絵や作品を作れる人間ではなくて、普通にお絵描きするのでも、天から降りてくるMuseのイメージをキャッチしないと描けない人間なんですね。目の前のモデルを正確に描写出来るタイプでもありません。相貌失認があるから似顔絵もうまく描けません。
本当にインスピレーションか画像として降りてくるイメージがないとお手上げ状態なんですね。
そういう私ですが、20代のころは地味に漫画を描いておりました。仕事して帰宅するとずっと机に向かっていて。1冊の個人誌を出すのに2年も3年もかかりましたが、非常に楽しい時間でした。人生でもっとも充実していたかもしれません。
描きたいお話は中学生のころからありました。なぜか古代日本が舞台。どちらかといえば日本書紀よりも古事記よりかな?と思えるヤマトタケルの物語でした。でも性格は記紀のどちらでもなかったです。
どちらかと言えばまつろわぬ人々に共感し、真摯になるタイプ。だから立場的にはどうしても悲劇にならざるを得ないのですが、ずるく立ち回れるタイプでもなくて、彼は結果がどうあれ「自分が選んだことだから後悔はしない」と言っていて、あれ?もしかしたらそれって私の気持ちじゃないか?と思いました。
ざっと中学生の自分を振り返ったら本当にそういうことを思っていて、しかもそれが生涯のテーマのひとつになると感じていました。
事実その認識はいまでもずっと生きています。後悔がないように生きること。
もう一つ。子供時代の話も描いていて、不吉な子供だと捨てられたのを倭媛がこっそり助けて養親に託します。そこで愛情一杯に強く優しく育てられて、生存を知られた朝廷に連れ戻されます。それが10歳の時。
アマチュアの作品なので、合わせても150ページくらいですが。その原稿は阪神大震災のあとで、秋田在住の友人に預けました。もし私が死んだら形見にしてね、とお願いしてあります。
その原稿が手元にないので、わりと最近の絵をここに持ってきました。絵と文章による散発的な短編はサイト「星宿海 渡時船」のなかに置いてあるので、興味とお暇がある方は探してみてください。「まほろば通信」のコンテンツの中です。2005年から2006年当たり。
多分、双極性障害の軽躁と集中がなければ書けなかったと思います。いまはもう息切れして駄目。よほど協力なパワーの神さまにサポートしてもらわないと……(^^;)
それでですね、バケネコさんに鑑定していただいた時、私の前世は倭国大乱時代、2世紀ごろの出雲で祭祀に関わっていたということでした。
あれ?出雲?征服された側ですよね。逆の立場か。時代は少しだけずれるけど、なんか近いものがあるなあ、と後に荻原規子さんの「白鳥異伝」(これも根幹はヤマトタケル)を読んでそういえば、あれもヤマトと出雲が重要な話になっていたなあ、と思いました。出雲の青年、菅流(すがる)がご贔屓キャラです(^^)
表のヤマトと裏の出雲。実は深い関係がありそうですね。面白がっている私でした(^^;)